第1921回「パリパリパリパリパリパリパリパリ」
2014/01/10(金)

「レシプロエンジンっていいよね」
「何を突然言い出すの」
「周りがジェットばかりだからな、余程嬉しいようだ」
「何が?」
「貴様がここに来た事がだ」
「ふぅん、マスタングなのよ?」
そんな事はどうでもいい、レシプロだから!」
「まぁ実際、航空ガールとなってしまえば、国家間の柵なんてどうでも良くなる」
「それはそうね。みんなを見ていると、もうほんと自由にやっているし」
趣味で喧嘩する奴( は居るがな」
「レシプロの良さを! もっとレシプロの良さを認識してもらう為に!! 次もレシプロ機をこちらに呼ぶべきだ! そうは思わないかスカーレット!?」
「え、いや、まぁ もみじがジェットエンジンだと聞いて驚いた事は驚いたけど。だってあれプロペラ付いてるじゃない
「私もターボプロップには騙されたよ。音が違うから何かと思ったら、ね」
「我々が生きていた頃では、ターボプロップは一般的ではなかったからな。認知度も当然低い。世界で始めてターボプロップエンジン単独で飛行したのは、1945年9月20日の事だ。トレント・ミーティアと呼ばれる機体がそれだ」
「グロスター ミーティアですか?」
「うむ。WW2終結で余剰となったミーティアF.3を、改造したそうだ」
「へぇ、あのミーティアをねぇ」
「大戦中のミーティアは、ジェット機の割にはレシプロ機程度の速度しかなく、ドイツ側が既に弱りきっていた為、Me262との交戦もなく、もっぱら対地攻撃機として試験運用されるに留まったわね。F.4以降、さまざまな改良を経て、1954年まで生産され続けたわ。なんでも、構造が平凡な故に、初めてジェット機を運用する国々に重宝されたとか。初期とは殆ど別物になったけど」
「ジェット機だか速度が遅い、というのはいただけなかったな。機動性はレシプロ戦闘機のほうが優れている、それならスピットファイアのほうがいい」
「だが、世界各国のジェット機運用基板を手助けした事、ターボプロップ実用化に貢献した事、何より連合軍側初のジェット機という意味は大きいだろう」
「確かに」
「ミーティアさえ居なければ、ターボプロップに取って代わられる事なんてなかったのに……!」
「流石にそれはないだろう」
「分かっていますけど、でもなんだか悔しい
「よしよし、その悔しさをバネに、レシプロ航空ガールの増大を目指そう!
「おお! 戦友!!
思いっきり敵だったけど?」
「日本にはこういう格言があります。昨日の敵は、今日の友!
「ふふ、ではまずスピットファイア辺りだな。いろんな国のが欲しいからな」
「何を言っているんだ、それなら零戦あたりだろう?」
「何を言うか、まずは連合機から増やすべきよ!」
「ふざけちゃいけない、まずは枢軸国だ!!」
「いきなり『今日の友は、明日の敵』にならないようにな」
「う……確かに」
「それより何より、まずはアデライードとエルヴィーラをね」
「あ」
「……まさか失念していたのか?」
「い、いえそんな事は!!」
「レシプロ仲間が出来たからと舞い上がっていたようだな少尉。これは教育が必要だと、私は判断した」
「ひぃ! それはご勘弁を!!」
「…………面白そうだから見ていようかな」
「貴様もだスカーレット」
「え!?」 ←巻き添え

スカーレット(P-51D)
勇猛果敢! ノルマンディ後に撃墜されたらしいが、時期は不明。
イズベルガ(M-262 A-1b)
軍人気質。残りの戦友達に逢えるのはいつの日か? 時折遠くを見つめてる。
カルラ(Bf109F-1)
イズベルガの戦友。双方の隙間にて意識が散った状態だったが、セラが集めてつれて来た。





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