気圏戦闘機・隕鉄 | ||||||
閑話 昔、伊佐部は一時期付き合っていた恋人に、プレゼントを貰った事がある。 鳥篭の中の小鳥。片羽を切り落とされた小さな小鳥だった。 その恋人とは、その一件がきっかけで分かれた。 伊佐部は、自分に与えられた私室で、何も捕らえていない小さな格子を無言で見つけていた。 部屋の中は怖いぐらいに殺風景。インテリアといえば、鈍い輝きを放ついくつかの勲章と、そして壁に穴を開けて、鳥篭をつるすために設置してあるフックだけ。 空気の動きのない部屋の中、鳥篭はあるだけ。住人はいない。だいぶ昔に天寿を向かえて死に、土に還した。 鳥は片方翼をもがれれば空を飛べなくなる。 片翼では空を飛ぶことはできない。そういうようにできている。最先端の有機系工学でも、人工筋肉の生成には成功しても、飛行を可能とする小さくパワーのある筋繊維製作には至っていない。人類の歴史よりも鳥は早く空を我が物としていた。 伊佐部は、机の上の模型を見た。 隕鉄。我が鋼鉄の翼。 あの翼の片翼がへし折れる姿など出来れば一生見たくない。 翼が片方無いという事はそれは飛べないということに直結するのだ。 片翼を失ってももう片翼があるから大丈夫というわけではない。両方がそろわなければ残された翼には意味が無いのだ。 伊佐部は、片羽を切り落とされた小鳥を結局飼っていた時期がある。 そして問いかけてみた。お前は幸せなのかと。 小鳥からしたらふざけた問いだったろう。選択の余地無く愛玩動物として籠に押し込められて、空を飛ぶための機能を永久に奪った人間共の一人からそんな問いかけをされたのだから。 外界で天敵に襲われてでも自由に空を飛びたかったのか。 籠の中で安穏と餌を貰って生きていくほうが幸せなのか。 小鳥は語る舌を持たない。 それはまるで己の翼を断ち切り、選択の一切を許さずに地に縛る宿命を背負わせた人間に対する無言の威圧のように思えた。 伊佐部は小鳥の身を己に置き換えて考えたことがある。 他者の誰かの勝手な意思で空に舞い上がることを奪われることはどんなにつらいだろうと考えて、少し死にたくなった。 昔の恋人は、空を知らない女だった。知っているのは旅客機から除く漆黒の空だけ。己の意思で自在に空を飛ぶ事を知らない人だった。 彼女のような人の方が遥かに多いに決まっている。 自分とて自分の意思で空を飛ぶのではなく、軍属として空を飛ぶ身だ。 夢想する。 一切合財の戦闘用武装を装備せず、ありとあらゆる負荷から解放された隕鉄と共に思うが侭空を飛べたらどれほど気持ちが晴れやかになるだろうか。 鋼鉄の巨鳥。制空の機塊鳥。数百億、少なくとも個人の資産では絶対に得ることの出来ない鳥を駆って自在に飛ぶことはどれほど晴れやかか。 『……総員、第二種戦闘態勢。金星軍艦隊接近、各員、戦闘態勢に移れ』 楽しい夢想の時は、現実のアラームひとつでかき消される。反射的に伊佐部は部屋から駆け出していた。 フライトスーツに袖を通しながら走る。片翼では空は飛べない。両翼を揃えてこそ、鳥は鳥なのだ。空を飛べるからこそ、自分は鳥の眷属になるのだ。 鋼鉄で出来た偽翼でもいい。恋人に貰った片羽の小鳥にはなりたくない。 やはり、俺は生きるなら死ぬなら空が良いのだ。 |
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2006/05/21:ハリセンボンさんから頂きました。
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