外洋機動艦隊外伝―葵― | ||||
第1話「第2外洋機動艦隊」 □□日本/沖縄列島沖/2053年10月19日/1603時□□ 雲ひとつない春の空と、淡い藍色の海原。二色の青で彩られるその空間を、Su-37jkM、フランカー・ゼロ“マルチ”と呼ばれる戦闘機が2機、翼端から細くくっきりとした飛行機雲を引いて飛んでいた。 2機の内、後方を飛ぶ機体は数色の青色で構成される海洋迷彩を纏い、先頭の機は機体上面を空よりも濃い青色に、下面を白く染め上げ、機首には小さく、漢字で葵の文字を刻んでいる。 どちらも主翼には鮮やかな赤い日の丸――日本軍機であることを示すそれが刻まれており、後部の2基のエンジンを挟み込むようにしてある一対の垂直尾翼には、日本海軍機であることを示す略号があり、その傍らには第2外洋機動艦隊の空母「朝顔」の第6飛行小隊所属機であることを示すそれがある。 一枚成型されたキャノピーから見えるコックピットは、それが複座機であることを示し、広い主翼下には本物の対空ミサイルと増槽が下げられ、2機が訓練ではなく実戦で飛んでいることを物語っている。 「グリフォンリードよりディスコクイーン。空域に異常なし。コンプリートミッション。これより帰還する」 先頭の機――葵のコックピットに納まる男がそう言った。 日本海軍航空隊で正式採用されているパイロットスーツにライフベスト、HMD付のヘルメットと言った服装で、右胸に縫い付けられた名札には「片瀬悠」の文字がある。 『ディスコクイーン了解。ピクチャーは変化なし』 遥か彼方を巡航するJE-1AEWから通信が入り、同時に2機の計器盤の大半を占める大画面のMFDに映されている戦域図に表示される自機と僚機を示すアイコンの傍らの、状況を示す符号がCAPからRTBへと代わる。 その表示を確かめ、2機は緩やかに上昇。経済巡航高度で母艦を目指す。 『敵さん、本当に仕掛けてくる気があるのかね』 経済巡航高度に到達し、母艦へと機首を向けたところで、海洋迷彩のゼロを駆る女性――若松夏澄少尉がそう話しかけてきた。 「さぁな。いるとしても駆逐艦くらいで空母はおろか揚陸艦もいない。いると言えばコンテナ船くらい、戦争が始まるとは思えないな」 米国で起きた軍事クーデター、その首謀者であるジェインが全世界に対する武装解除を要求し、それに応じなかった場合は宣戦布告するとの声明を発表し、その期日と定めた10月20日まで後四分の一日と少し。彼らが属する日本海軍の空母「朝顔」は、沖縄周辺の警備のために同海域にて哨戒を行っていたが、彼らが話すように沖縄周辺での動向は穏やかなものだった。 『そうやって周りを脅しといて、その隙に内部を片付けるつもりなんじゃないか』 そう言って、夏澄機の後席でフライトオフィサを勤める佐々野敢少尉が会話に参加してくる。Su37jkを基に多目的性能を追求したこのSu37jkMは、多彩な兵装を操作するための要員を後部座席に乗せている。もっとも、Su37jkM自体は、Su34jkとのトライアルに敗れ、量産されること無く試作機であったこの2機が配備されるにとどまったが。 『だけどそうやって中のごたごたを片付けたとして、その後は?』 『わからんよ。なんならホワイトハウスに質問メールでも送ってみるか「貴方の目的は何ですか」って』 『つまらない』 敢の軽口を夏澄が一刀両断する。この二人のいつもの会話だ。 『わからんといえば、悠のゼロの機械、なんなんだあれは』 後部座席、本来ならばWSOが腰掛けるその場所に備え付けられた黒い箱。「朝顔」がこの任務を命じられた直後、補給品と共にやってきたシステム軍団の要員によって備え付けられたものだ。 「―――よくわからないな」 計器盤の縁につけられたバックミラー越しに後部座席を見やり、悠は答える。 「新型のサポート装置とか言ってたけど、詳しいことは何も知らせずに帰っちまったし」 軽い電子音が響き、2機が朝顔のアプローチゾーンに侵入したことを告げる。 「おしゃべりは終わりだ。降りるぞ」 『ウィルコ』 『らじゃ』 二人が返事をすると共に、眼下の大海原を白い航跡を引いて進む船影が見えてきた。 大きく広い甲板に、右舷側に追いやられるようにして佇む艦橋。艦首には無色彩で日の丸が描かれ、艦尾には02アの文字。 空母「朝顔」。日本海軍が誇る雛菊級攻撃型空母の二番艦だ。 全長372メートル、最大幅126メートル、最大排水量163500トン。艦内には100羽もの機械鳥たちを収納し、さらに224セルのVLSに各種のミサイルを搭載する。日本海軍が誇る最大にして最強の攻撃型空母であり、今は沖縄近海の警戒の要でもある。 「ステート」 『ベース+30』 残燃料を報告せよとの問いに、間髪入れずに答えが返ってくる。 「じゃあファインが先に下りろ」 『ウィルコ』 夏澄のゼロは誘導波に沿って空母の周囲を緩やかに降下しつつ旋回、ほぼ理想的な着艦コースに乗る。 『コンプリート・ランディング。グリフォン2』 空軍パイロットから「制御された墜落」と称される着艦を難なくこなし、夏澄のゼロは待機区画へと移動する。 続いて悠もゼロを着艦コースに乗せ、徐々に高度と速度を落としつつ艦尾へと接近し、四本張られた制動ワイヤーの三本目にフックを引っ掛けて、着艦。 『グッタッチ。グリフォン1』 着陸士官のコールに軽く答え、主翼をたたみながら待機区へとゼロを持って行き、エンジンを止めて、キャノピーを開いてゼロから降り、報告のために艦橋へと向かう。 航空機の出入りの激しい日中、艦橋内は喧騒が絶えることはない。 飛行甲板で航空機の動きがあると、間髪いれずに見張りの士官が報告し、それに基づいて別の士官が卓状ディスプレイの上に広げられた朝顔の平面図に置かれた台紙を移動させる。 台紙はゼロやマリヴァといった朝顔で運用されている航空機の形に切り取られ、そこに乗せられているボルトやらナットは、その機が積んでいる武装を示し、コインは搭載燃料を示す。 この要領で飛行甲板にいる全ての航空機の所在と武装を把握し、100を越える機械鳥の円滑な離着艦作業を行っている。 雛菊級が計画された当初、惜しみなくつぎ込まれた最新技術の一つに卓状ディスプレイとそれを使用した離陸艦管理システムが挙げられるが、入力作業が実際の離着艦に追いつかず、結局米海軍と同じく、マンパワーに頼るこの方法を採用している。 「報告します」 その喧騒の中、艦長席の前に立ち、海軍式の敬礼をして悠は言う。 「グリフォン隊、CAPより帰還しました。空域に異常なし、飛行機異常ありません」 「ご苦労様」 艦長席が回転し、そこに腰掛ける女性が姿を見せた。 上級士官用の黒い制服姿で、両肩の階級章は大佐であることを示している。 付島富美子。 若干26才で海軍大佐を拝命し、そして3隻しかない雛菊級攻撃空母の一隻「朝顔」を担う艦長だ。 「今のところ異常はないけど、事態がどう動くかは予測できない。休息をとって、次のミッションに備えて。以上、解散――片瀬中尉、貴方は残って」 席をとっとくと言い残して夏澄が戸をくぐり、同情するような表情で敢が戸をくぐる。 そんな二人をよそに、彼女は艦長席から立ち上がって窓際へと歩み寄り、飛行甲板に止められた悠のゼロを見下ろして、口を開く。 「貴方のゼロ―――葵の調子はどう?」 「―――普段どおり、最高ですが?」 少し怪訝そうな顔をして、しかしそれを声には出さず悠は答えた。 「そう、ならいいわ――それだけよ」 怪訝そうな表情を浮かべたまま、悠は敬礼。艦橋を後にする。 付島艦長は艦橋を後にする悠の背中から視線をそらし、指令席のサイドポケットから菊の紋章が刻まれた薄いファイルを取り出してそれを開き、中に収められた書類――紙に印刷されたそれを見やる。 ペーパーレス化が著しいこの世の中で、この様に文字通り紙にプリントされ、厳重に封印された封筒に入れられ、連絡機で届けられた文章と言うのはかなり特異だ。軍令部からの命令すらデータで送られるのが常識となっている。 しかし、データ通信は送受信時に傍受される恐れがあり、外洋での行動が多い雛菊級では通信を衛星回線に頼る場面が多く、必然的に盗聴の可能性も高い。 その点紙ならば、信頼のある仕官が携えている限り安全であり、最悪の場合にライターで灰にすることが出来る。 紙で送られたと言うことは、そのようなことを視野に入れなければならない情報が送られてきたとであった。 表紙にはプリンターが吐き出した無機質な文字で「Machine Link System概容」とあり、その傍らには赤字で「機密事項」の文字があり、更にその傍らには艦長とTA軍団の担当仕官以外の閲覧を禁ずることを示す一文が添えられている。 「心を持つ兵器、か・・・」 小さな呟きは、本人の耳に入ることも無く喧騒に飲まれ、消えた。 「思ったよりも早かったな」 「優等生だから、注意されることも少ないんだよ」 「――そもそも優等生は呼び出されないでしょ」 食堂へと続く長い廊下で敢が言い、明らかに冗談とわかる口調で悠が返し、夏澄が簡素に突っ込む。 「そりゃそうだな――と、今日は何を食べるかなと」 「今日は金曜だから・・・カレーか」 「たしかカツカレーのはず」 「どうすっかな・・・」 「食堂に着くまでには決めてよ、この前それで十分も待たされたんだから」 「あー、今日は大丈夫。多分だけど」 「つったく・・・機上待機の時に後悔してもしらないよ」 そんなやり取りをしつつ、三人は廊下を進んでいった。 左腕にはめた腕時計の針が午後11時30分――軍隊式に言うならば2330時を指したのを見て、付島艦長は視線を艦橋の外、暗い海へと向けた。 目の届く範囲に船影はない。それどころか、今現在この海域に日本海軍の艦は、この「朝顔」一隻のみ。単独行動を旨とする雛菊級にとっては珍しくも無いことだが、広域哨戒を行うには手駒が少なすぎる。これでは広域にわたる多重哨戒網の構築なんてできるわけがない。 「朝顔」をはじめとする雛菊級に期待する上層部の気持ちはわからないでもないが、その思いが期待ではなく過信であることにはまだ気づいていないようだ。行き過ぎた過信は破滅を招くというのに。 小さくため息をついて、傍らに置かれたクリップボード型の端末を手に取り、画面に触れて周辺の海図を表示し、それに味方と、判明している敵の情報を重ね合わせる。 沖縄から見て方位085、距離300キロの洋上――丁度沖ノ鳥島と沖縄本島との中間に「朝顔」を示すアイコンがあり、その背後にはこれまで進んできたコースが実線で引かれ、前には予定航路が破線で引かれている。周囲にはCAP任務に就いている航空機のアイコンがいくつもあり、その傍らにはコールサイン、機種、所属、現在の高度、進路、速度、残燃料、兵装といった情報が簡素に表示され、前後には朝顔と同じようにコースが引かれている。 それらの位置と状況を確認し、画面の上で指を滑らせ、少し離れた海域――排他的経済水域のぎりぎり外側に位置するUSAJ艦隊――“敵”の艦隊が潜伏していると思われる海域に画面を移動させ、その部分を拡大表示する。 軍艦を示すアイコンが全部で16。その内一隻は艦隊指揮用の指令巡洋艦で、二隻は戦艦、六隻はミサイル巡洋艦で、残る七つが駆逐艦。クーデター直後から索敵を開始し、補足できたのはこの艦隊だけだ。 戦艦を中心とした有力な水上打撃部隊だが、地上攻撃や制空戦闘、索敵の中心である空母は見当たらず、上陸するための兵と装備を載せた揚陸艦も発見できていない。 潜伏していると言うことは考えられない。穴だらけの哨戒網だが、それでもこの3日間で1回も索敵に引っかからないと言うのは妙な話だ。 では最初から空母も揚陸艦もこの近海にはいないのだろうか?それこそ妙な話だ。現状だと、この艦隊は開戦と同時に集結した第2外洋機動艦隊と、沖縄を拠点とする第9艦隊の袋叩きに会うことになる。それまでに沖縄を制圧できれば話は違ってくるが、しかし制圧の要となる艦艇はいない。 では、初めから沖縄を制圧する気はないのだろうか? この艦隊は最初から捨て駒なのだろうか? あるいはこの艦隊は囮で、本土攻撃の別働隊が存在するのか? それとも尖閣諸島のガス田が真の狙いか? それとも沖縄進攻を匂わせておいて、シナ海のシーレーンを寸断するのだろうか? 幾つかの可能性を考えてみるが、いずれも沖縄進攻の危険は薄いように思えた。 端末の電源を落とし、指令席のサイドポケットに納め、眼鏡をはずして目頭を軽く揉んで、視線を正面――暗い海原へと移す。 開戦まで残り数十分。ジェインによる沖縄攻略の第一手は、確実に、そして静かに忍び寄っていた。 □沖縄/那覇軍港/日本海軍駆逐艦「里雪」/2053年10月19日午後11時50分(日本国標準時)□ 細長い沖縄本島の西南に位置する那覇市の港湾の一角に、日本海軍那覇軍港はある。 元々は在日米軍の手によって拡張が続けたれた基地であったが、モンロー主義への回帰を起因とする米軍撤退以後、増大の一途をたどる大陸諸国の圧力から周辺海域の海底資源とその採掘施設軍を護るべく、日本軍によって拡張が続けられた軍港で、その港湾施設はこの海をテリトリーとする第9艦隊の艦を全て受け入れるだけの規模を有する。 そんな広大な軍港の一角、無数に突き出た突堤のひとつに、一隻の軍艦が停泊していた。 駆逐艦特有の細いシルエットに、マストと一体化した艦橋。一目でそれとわかる速射砲は、艦橋その前のVLSを挟んで2基、船体後部の煙突の背後に2基、そして艦尾に1基ある。 その船体は日本海軍の特徴的な迷彩を纏い、艦首にはその艦の型式であるDD62の文字が、艦尾には名前であろう「里雪」の文字がある。 「静かだな・・・」 日本海軍駆逐艦「里雪」の艦橋の傍らに位置するウィングで、周囲に広がる軍港の情景を見つめる男がそう呟いた。 白い夏用の軍服姿で、右胸には海軍中佐であることを示す記章があり、被っている制帽は、彼がこの艦長であることを示し、左胸の名札には小村と書かれている。 「静かだ・・・」 小さく、呟くように繰り返す。 頭上を行きかう鴎の鳴き声も無ければ、心地よい機関の振動もない。 米国で起こった軍事クーデター、その首謀者であるジェインが全世界に対する武装解除を要求し、それに応じなかった場合は宣戦布告するとの声明を発表し、その期日と定めた10月20日まで、残り数十分。 すでに沖縄全土は臨戦態勢にあり、ここ那覇軍港を母港とするとする第9艦隊、そして佐世保の第7・8艦隊も第2外洋機動艦隊と名を変えて沖縄防衛のために出撃の準備を整えている。 空を見上げれば、轟音こそ聞こえないものの戦闘機の排気炎をいくつも数えることが出来るし、この那覇市のいたるところにSAMやAAAを有する対空部隊が展開している。 全力を挙げた防衛――にもかかわらず、「里雪」は那覇の軍港でただ一隻、機関の故障と言う不名誉な理由で係留されたままになっている。 「なさけないな・・・」 再び呟き、そして再び静寂が周囲を包む。 「艦長」 つかの間の静寂を破り、艦橋から少佐の階級章を着けた副長が姿を見せる。 「機関の修理、完了しました。いつでも出られます」 「ようやくか」 視線を海から副長へ移し、小村艦長は答えた。 「よし、ただちに出航する。舫を解かせろ」 「了解しました」 副長は敬礼すると、艦内へ戻ろうと振り向いた。 時計の長針が12を指し、どこか間の抜けた電子音が10月20日――開戦の日を迎えたことを告げる。 「待て」 「何か・・・」 何か言おうとする副長を片手で制止し、夜空をにらみつける。 一匹の鳥もいない静かな夜空、その一点に幾つかの光点が点り、次の瞬間には巡航ミサイルとなって頭上を掠める。 「――――!」 数秒の間をおいて衝撃波と轟音で周囲の空気が揺さぶられ、その余韻が消えぬうちにミサイルは白い燃料タンクへと突入。外壁を貫き、軍艦ならば数十隻が半年以上航行できるだけの膨大な燃料の中で信管に点火。爆発した。 爆発であたりが真昼のように照らされ、爆音をかき消すように更なるミサイルの甲高い轟音が響き渡る。瞬く間に軍港が爆発で包まれ、辺りが爆音と甲高い轟音で満たされ、炎に包まれた破片が周囲に飛散し、更なる被害を招く。 典型的な超音速巡航ミサイルの飽和攻撃。対テロ戦争の経験がそう告げた。 「始まったか、戦争が・・・」 爆発を見据え、小村艦長は言った。 「出航用意、総員戦闘配置!」 艦内へと駆け込みつつそう怒鳴り、一瞬遅れて駆け込んできた副長がそれを復唱する。 『出航用意、総員戦闘配置!』 瞬く間に全艦に命令が行き渡り、慣れた手つきで舫が解かれ、各部署にクルーが駆け込む。その間にもミサイルは降り注ぎ、爆発がいたるところで起こる。 開戦後の第一手、沖縄侵攻作戦は、USAJの主導で推移してゆく。 |
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2006/12/31:緑炎さんから頂きました。
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