赤い瞳、白き翼 -ALICE- 〜第3外洋機動艦隊〜



 太平洋方面連合軍が集結しているロサンゼルスとその周辺は安定していたが、連合の勢力圏と、フェニックス空軍基地を中心としたU.S.A.J.の勢力圏との境界線では、互いに様子を見る程度の小競り合いが目立っていた。
 その境界線は誰が決めたものではなく、自然に発生したもので、互いが互いに「ここまでは自分達の勢力圏」だと自認し、それがぶつかり合う所が境界線。曖昧な境界線だ、互いに自認する勢力圏が被っていた。
 連合側もU.S.A.J.側も、相手の潜在戦力を探り合い、次の一手を打つ時を決めかねている。
 そんな中、海中では、次の一手はこれに限ると考える者が居た。技術士官として乗り込んで、その時を今か今かと待ち望む者。だが、それの先制使用は、敵戦略兵器による反撃を意味する事を、忘れてはいなかった。
 ただただ、知りたい。どれ程の威力で、どれ程の被害が出るのか。それは、知欲が先行した思想。
 海中には魔物が潜んでいる。




第35話「知欲の終着点」

[思念が強ければ強い程に]




 敵のロサンゼルス奪取作戦は、失敗に終わった。こちらの防御を突破する事が出来ず、撤退を余儀なくされた。しかし、追撃部隊は程々にし、奥深くまでは追わず、連合軍は勢力圏を維持している。
 敵作戦の最中、強行偵察に乗り出したRゼロ・リエナの収穫によれば、追撃を程々にした事が正解だったと判断できた。敵の対空兵器が多量に確認されたのである。恐らくは、対空機関砲・短SAM・中SAM・長SAMによる低空・中空・高空に適応した防空運用形態、即ち強固な防空コンプレックスが築かれていただろう。カモフラージュされている分も考慮すれば、追撃を続けていた場合、こちらの被害が大きくなっていた筈だ。
 戦力の増強は互いに行なっている、最初の一手は敵が打ってきたが、それは失敗した。同時に、敵が必死になっているという事も分かった。それはそうだろう、U.S.A.J.にとっての敵、連合軍は、既に本土に喰い込んでいるのだから。それも、カナダと太平洋の二方向から。先日、第1外機らがパナマを解放し、第2外機らがメキシコシティを解放している為、いずれはメキシコ方面もこれに加わる。U.S.A.J.は、どんどんと大西洋側へと圧縮されているのだ。
 現地時間二〇五三年一二月一七日〇八時一〇分(日本時間一二月一七日二三時一〇分)、メキシコ上空。Rゼロ・リエナは、メキシコ東部の重要拠点を偵察し終え、アカプルコ近海を目指していた。
 メキシコ東部ではU.S.A.J.の戦力が集結を始めている。我々太平洋側の連合がロサンゼルスを解放し、周辺を完全なテリトリーとした事、第1外機がパナマを解放した事により、中南米の防衛価値を失ったU.S.A.J.は、少数の戦力を残して主力を後退させていた。U.S.A.J.はパマナ奪取に戦力を割くつもりはないらしく、本土とメキシコの境界線で、中南米方面の連合に対する防衛線を張るつもりらしい。とは言え、ロサンゼルスを最拠点としている太平洋側連合軍はサンディエゴも解放している為、U.S.A.J.の戦力は、アリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州を対・中南米方面の最終防衛線としたい考えだと予測される。特にフェニックス空軍基地を中心としたU.S.A.J.アリゾナ州方面軍は、太平洋側連合軍とメキシコとに接している為、敗退したU.S.A.J.中南米方面軍にも戦力を廻す必要があり、両方に戦力を割かざるを得ない状況のようだ。何せ、現状でメキシコシティは連合軍の勢力下にある。
 Rゼロ・リエナは、アカプルコ近海を目指して海岸線沿いを飛行していた。メキシコシティを解放した艦隊戦力、第2外機らが停泊しているアカプルコ近海。雛菊級攻撃型空母2番艦、ACCA-2 朝顔にて補給を受ける為だ。装備は増槽二本とCFT、自衛用のアーチャーAAMが六発、そしてMLTR-1の陽炎を抱えている。純粋な偵察が任務で、メキシコ東部の偵察を終えたあと、朝顔に着艦しデータを渡す。その後、朝顔から発艦、中米のエルサルバドルを目指して飛行し、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカと、首都周辺を直線的に結んで偵察し、パナマにいる雛菊へと着艦する予定だ。メキシコ南部とグアテマラ、ベリーズ周辺の偵察は朝顔機がやっているし、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ周辺の偵察は雛菊機がやっているが、リエナによるMLS索敵にて、中南米方面から北上する予定の連合にとって大きな障害がないか調べる、という作戦。朝顔を飛び立ったあとは、距離にして約二五〇〇キロメートル程の偵察飛行、それ程長くはない。
《ネェネェ、朝顔ってサ、女の人が艦長なんだっけ?》
 リエナが、朝顔の艦長について訊いてきた。市川は表情を緩めて答える。
「そうだよ。雛菊の艦長、付島 将兵大佐の娘さんで、付島 富美子ふみこ大佐だよ。若くてすっごく優秀な人、確か二六歳だったかな」
《へぇ〜、それすっごいネ》
「日本軍は実力主義だからね。上級士官学校も出ているし、駆逐艦天津風あまつかぜでも艦長を勤めてたから、なるべくしてなったってところかな」
《上級士官学校って、卒業すると佐官になるんだっけ》
「そう、本当に優秀な人しか入れない、人の上に立つ人物の為の軍学校だよ。国防大学内にある部門だね、年に数人入るかどうかってレベルらしい。審査には軍の監理局も関わるって言うから、本当に狭い門なんだろうね」
 つまり、エリート中のエリートというわけだ。富美子は、父親である将兵の影響か、幼い頃から軍事学を中心に自らの意思で学び、過去問題集なども含めて次々に吸収、一六歳の時には飛び級で上級士官学校(国防大学上級士官校)へ入学し、一年で卒業、階級は少佐(但し扱いは候補者)。その後は天津風にて艦長見習いとして訓練を積んだが、対テロ戦争初期に天津風の艦長が被弾により死亡した為、副艦長の推薦と、候補者とは言え階級が上という理由もあって、艦長に就任、対テロ戦争を生き抜いた。兵卒から下仕官、そして士官候補者制度を経て今の地位に居る叩き上げの軍人・将兵は、妻・セリアの遺伝子だと自慢げだ。ただ、市川が聞いている話では、富美子はエリートとかそういうつもりはないようで、物腰も柔らかく容姿も端麗と来ている為、部下の人気が特に高いそうだ。余談だが、女性軍人にも好かれていて、ラブレターを貰ったりもしているとかなんとか。
「付島 富美子大佐は、天津風で対テロ戦争を生き抜いて中佐に昇進したあと、朝顔の副艦長を務めて、その朝顔の艦長が退役するって事で、大佐に昇進して艦長に就任したんだよ」
《わぉ。でも、若いって反対されたりは、なかったのカナ?》
「それはあったみたいだね。だけど軍本部が、『日本軍は実力主義である』って一蹴したんだってさ。実力も実績もあるし、人気もある、将来有望だって事で、若いうちから経験を積ませたかったんだろうね。経験不足な面は、副艦長が補っているそうだよ。急激な軍拡と戦争で人材不足だから、早く補充したいっていうのもあったみたいだけど、軍本部としては『大佐止まりの人物ではない』って評価だね」
《ふぅ〜ん、じゃあゆくゆくは海軍のお偉いさん?》
「だと思うよ。ポストが開いた時、いずれはね」
 そう、幾ら優秀でも席が開かなければ、将官クラスにはならない。そういうレベルの役職だ。だから富美子が将官になるとすれば、もっとずっと先だろう。
《その頃はマスターも少佐とか》
「あはは、どうかなぁ」
 階級はそれなりに上がっていくだろうが、MLS機のパイロットである以上、地上勤務になる事はないだろう。何しろ替えが利かない、個人専用システムだから。強力ではあるが、汎用性が皆無なのはデメリットか。しかしそれを打ち消すメリットがあるからこそ、MLS機は少しずつ数を増やしている。そもそも日本海軍・航空母艦配備のままならば、中佐止まりだ。大佐ともなれば例外を除いて基地配備機の基地副司令、准将ともなれば司令官クラスで双方とも地上勤務だ。
 ふと思う、ゼロ・シリーズが退役となったらどうなるのか。MLシステムを他機に載せ換えて、被験者と精神生命体もその機に切り替える、という事になるのだろうか。タイミング次第では、そういう事例も発生する筈。この機のMLシステムで考えてみると、MLシステムの根幹を成すのは蒼晶石だし、リエナは既に実体を得ているから……だけど、Rゼロ・リエナ以外の機では、航空機としての身体の整合性がない? いや、同じRゼロならば、載せ換えでも問題はないと、祖湯少佐から渡された資料にはあったけど、まったく別の機種については分からない。
《んー、どうカナー》
 市川の考え事は、リエナにも聞こえている。リエナは首を右に左に傾けて、笑顔で返した。擬音をつけるなら「ニヒヒッ」だ。
《わっかんない♪》
「はは、その辺は技術開発部だって考えている筈だよ。それにリエナはリエナだ、元もとの機体、機種が変わると整合性が取れないかな、なんて思ったけど、やっぱり同化する航空機が変わったって同じ事なんじゃないかな」
《あたしもそう思うよ♪》
 あくまでRゼロ・リエナは、リエナにとっての機械鳥の身体であって、リエナの精神はここに居る。その精神は実体を得て人となれるし、機械鳥の身体は機械であるから代えが効く。どちらも同じ自分だと認識しているが、実際のところ同化中に蒼晶石を破壊されなければ、それが可能なのだから、別機種でも大丈夫なのではないかとリエナは考えた。
 会話をしている内に、朝顔にだいぶ近付いてきた。既にコントロール空域内だが、サイレント・モードを維持している。高度は二三〇〇〇メートル、そろそろ降下しよう、朝顔まで一五〇キロメートル、サイレント・モード限定解除、通信電波のみ発信許可。IFF及び識別コード送信、ストリングス・データリンクシステムは朝顔機のJE-1と相互通信を開始、友軍機と確認、情報共有許可、データリンクが繋がると、空域内の作戦機のアイコンがモニター上に映し出された。
『こちら、A111、アンク・スリー、貴機の所属を確認したい』
「こちらは、T401、グリーンリーダー。TACタックネームはゴースト。空母朝顔に着艦したい」
『了解、確認をとる。そのまま進め』
「ゴースト、了解」
 少しして着艦許可が下りると、ゼロが二機、上がってくる。出迎えのようだ。
「データの受け渡しが終わったら、休憩してから出発だ。次は中米だね」
《了解♪》
 降下しつつ出迎えのゼロと合流、マーキングを確認すると、間違いなく朝顔機だ。そのまま高度二〇〇〇まで降下し、二機のゼロに護衛されながら進む。朝顔に到達すると、既に着艦準備は整っていた。着艦デッキ後端のマーキング、艦番[02]、尾号[ア]、攻撃型空母朝顔。末娘である躑躅とは細部に違いはあるものの、同型艦だから着艦に問題はない。いつも通りやるだけで、余裕の第3ワイヤーだ。
 着艦後、誘導員に従い速やかに着艦デッキ外へ移動し、指示を受けてエンジンを停止。キャノピーを開けて外の空気を吸う。牽引車に牽かれて艦橋構造物・簡易格納庫へ移動、押される形で後進、格納庫内に収まる。
「ようこそ朝顔へ」
 すると、艦長の付島 富美子が迎えてくれた。すぐさま敬礼をし、架けられたラッタルを伝って降りると、リエナが実体化した。
「初めまして、リエナちゃんだったわね?」
「あれ、知ってるの?」
「知っているわ。市川少尉も、よろしくね」
 差し出された手を握り、市川とリエナは、富美子と握手をする。
 付島 富美子、兄と妹を持つ付島家の長女。成績優秀・将来有望、おまけに容姿端麗と、エリートという言葉がそのまんま当てはまる存在だが、彼女自身はそんなつもりはまるでなく、自分に厳しく他人に優しい性格。身長は市川より少し低いくらいで、ウェーブがかった長い髪はブロンド。日本人である父・将兵と、日本人とイギリス人のハーフである母・セリアの娘、所謂クォーターだ。眼鏡をかけている。
「それで、何か御用かしら?」
「はい、メキシコ東部の偵察と、そのデータの受け渡しを命じられて来ました。通信傍受を避ける為、そちらへの事前連絡は行なっていないと思います」
「分かりました。ではデータのコピーと、アナログフィルムの現像・受け取り、フィルムと燃料の補給ね?」
「はい、お願いします」
 富美子が指示を出すと、作業が始まる。整備員が床にある接続スポットの蓋を開けると、コードが巻きつけられたドラムが収まっている。注意書きには[電源/通信ケーブル]と書かれており、[接続してからスイッチON][スイッチOFFしてから切断]とも書かれていた。スポットから電源/通信ケーブルを引き出し、Rゼロ・リエナに繋ぐと、整備員が声を掛けてきた。
「あの、見た事がないポッドを抱えているのですが」
「私も先程から気になっていました。市川少尉、あれは何かしら?」
 と、富美子が指を指す先は、MLTR-1の陽炎だ。
「あれは、MLシステム専用の、携行型無人偵察機です。MLTR-1 リサーチ・アイ、あの中にもアナログフィルムがありますので、それの現像と補給もお願いします」
「成る程、MLSリンク兵器という物ね。話には聞いているわ」
 フィルム用のハッチは何処かと整備員に訊かれたので、市川は「ああ、そうでした」と言うと、ラッタルを伝って再びコクピットへ行き、MLTR-1/機上整備モードを起動、すると、陽炎はギアを出した。アームパイロンを伸ばして降ろすのだが、万一不具合があってカメラのカバーに傷が付いてはいけないという事で、ギアを出す。ゆっくりとアームパイロンが伸び、パイロンとの接続はそのままに陽炎を降ろした。機体に装着した状態よりも、地上に降ろした状態の整備性を重視している為、フィルム用のハッチは上部にある。
「なんだか親子みたいね?」
 Rゼロ・リエナと陽炎を見て、富美子は、リエナに話しかけた。
「そうでしょそうでしょ、パーソナルネームは陽炎だよ。もう一機、不知火っていうのがいるんだけど、今回はお留守番」
「ふふ、嬉しそうね」
「だってサ、あたしとマスターの……その、ネ?」
「子供みたいって?」
 ストレートに言われると恥ずかしい、リエナは頬を赤くしてニコリと笑った。この子が戦闘偵察機だなんて、普通は誰も信じないだろうなと、富美子は思う。と同時に、なんて可愛いんだろうと、部下の手前、抱きつきたくなる衝動を抑えて心の中で悶えた。富美子は可愛いものが大好きである。
「あ、今の話、マスターには内緒だからネ? なんか恥ずかしいから」
「分かった、私とリエナちゃんの秘密ね?」
「うん♪」
 でも、いずれは本当にそうなったらと、空想の中で揺らぐ陽炎ではなく、家族になって本当の子供が出来たらと、リエナは願う。市川の悲しみを埋める事が出来るならば、いずれは。
 市川が説明を終えて戻ってくると、富美子は、市川とリエナに艦橋構造物の休憩室で休む事を薦めた。膨大な量の電子データではあるが、コピーはすぐに終わる。しかし、アナログ写真の現像は少し時間がかかるし、このあと帰るのだからしっかり休んだほうがいいと言う。だが、実はまだ中米の偵察が残っていると市川が告げると、それなら尚更だと薦めた。
「連絡なしで行なっている以上、偵察作戦に時間の設定はないのでしょう?」
「ええ、ありません。艦長からも、休息は取るように言われています」
「なら休みなさい、こちらで整備もしておくわ」
「助かります。出発予定時間は、日本時間〇三〇〇マルサンマルマルです。整備、お願いします」
「分かりました。本艦の整備員は優秀です、安心して任せてください」
「ありがとうございます」
 市川とリエナは富美子と敬礼を交わしたのち、富美子の案内で艦橋構造物・休憩室へ向かった。雛菊級の艦橋構造物は簡易格納庫の関係で非常に大きく、スペースに余裕があり、内部には大部屋や個室の休憩室もあるし、倉庫などもある。尚、反対側に第3・第4カタパルト設備がある為、上部構造の重量バランスが取れている。
 個室の休憩室へ案内されると、室内にはベッドが一つとテレビ、テーブル、ソファーがあり、内線電話機と置時計、メモ帳とペンが置かれた小さな棚があった。ベッドの布団が綺麗にしかれている事から、どうやら掃除をしたばかりらしい。構造は士官部屋に似ているが、シャワールームと小キッチン、クローゼットなどがない。とりあえず寝ておこうかなと市川が言うと、リエナは、一番乗りだと言わんばかりにベッドに飛び乗った。市川が置時計の目覚ましをセットすると、リエナは布団をめくって潜り込み、早く早くと市川を呼び、二人は同じ布団で休息を取る。

 市川とリエナが就寝した頃、ハワイ沖五〇〇キロメートル・深度五〇〇メートルに、一頭の金属鯨がいた。体長は一八〇メートルもあり、体表は吸音タイルで覆われている。司令部からの命令を受けるか、或いは司令部との一定時間の連絡途絶を以って司令部壊滅と判断、艦内協議の上、SLBMを発射、敵国を戦略攻撃する金属鯨。体内には原子炉を備えるが、発射する金属岩石は核弾頭ではない。通常弾頭と蒼晶石を持つ、核に匹敵する非・核弾頭SLBM。
 戦略原子力潜水艦 SBN-48 村正、日本海軍四隻目の戦略原潜。戦略兵器故、艦長の階級は大佐。整備中だった戦略原潜・草薙も海に出ており、四隻全てが違うポイントに分散した。現状の任務は、敵の弾道弾攻撃に備えて海中待機。ほかの三隻と同様、与えられている幾つかの作戦計画書の中には、ワシントンD.C.攻撃用の物がしっかりと用意されている。作戦計画書自体はクーデーター前からあったのだから、これは同盟国であっても事が起これば攻撃対象となるという意味だ、当然である。そして勿論、その内容を知る者は非常に少ない。この艦内ですら、誰も知らない。漠然と、『ここに攻撃するだろうな』という個人の予想だけがあった。
 ただ、今は、定期的にVLF(超長波)受信深度にて行う連絡受信が、この艦の全力を出さずに済むという事だけを告げていた。
 村正の全力、即ち戦略弾道弾攻撃だ。現状これが行われる事はつまり、日本軍司令部壊滅、或いは被核攻撃を意味する。あってはならない、あって欲しくない。作戦計画書の実行、それが為されれば、多くの命が奪われた事・これから奪う事を決定付けて、役割の重さを痛感するだろう。村正は、何処に居るかも不明な状態で睨みを利かせるのが一番いいのだ、金属岩石を吐き出すのは艦長の男にとって本意ではない。
 しかし、それを本意とする者が艦内に居た。村正がハワイにいるあいだに、本国からやって来て乗り込んだ者が居た。技術開発部・TOシステム軍団・戦略原潜開発部 責任者、奥野 太一。最新型であり、就役後すぐに任務開始となったこの村正と、蒼晶石搭載型SLBM・STM-3 タービュランスの技術士官として、名乗りを上げて乗り込んでいた。
 奥野は、村正とタービュランスに期待を寄せていた。それは抑止力としてだけではなくて、単純にその威力を見たいが為の期待が大きい。村正がタービュランスを発射し、それが敵国に着弾し、大被害をもたらす所が見たい。敵の攻撃に対しての反撃か、先制攻撃か、そのどちらでも発生するこちらの被害はわざと失念し、漠然と、その威力ともたらす被害を知りたい・確かめてみたい、とだけ、あまり表には出さないが、開発中も常々思っていた。
 他人からすれば異常だと言われるだろうと、奥野も自負していたが、自分にとってそうではないので、そんな事はどうでもいい・関係ないと、自問自答する。そもそも兵器開発者とは、その兵器が最大運用される姿を見たい・知りたいものではないのかと、奥野は祖湯に言った事がある。祖湯は、「私は必ずしもそうではない」と答えた。
 発令所は別段異様な雰囲気があったりする訳ではなかった。まだ就役したてではあるが、奥野はこの艦にとって部外者で、しかも最大威力至上主義者として有名だから、就役して間もないこの村正の艦内がギスギスしやしないかと、艦長は心配であったが、杞憂であった。奥野は、あえて余計な緊張を生み出す必要もないと、余計な口出しも何もせずに自重していた。あくまで、見たい・知りたい・確かめたいという知欲はそれはそれで、奥野はただの軍の技術者であるだけだ。部隊の行動を妨げるような事はしない。ただ、定期連絡の際に詳細を訊く事だけはした。
(大人しくしてくれているのはありがたいが、それも不気味だ)
 艦長は、奥野に視線をやらずに溜め息をついた。開発責任者本人が、わざわざ本国から来て乗り込んだのだから、あれこれと注文をつけてくるんじゃないかと思っていたが、この通り何も言いやしない。定期連絡の内容を訊くだけだ。時折、一〇〇円玉程の大きさの蒼い晶石を取り出して眺めているが、その晶石は何かと訊くと、お守りだと答えた。あとは淡々と、運用データを取っているだけだ。仕事をキッチリこなしているだけだとも言えるが、何せあの変人集団の技術開発部にあって、更に変人だらけと聞くシステム軍団の一員、頭の中で何を考えているか判らない。階級は同じく大佐だが、艦長はこっちだ。彼に指揮権はない、だから艦の運用に文句は言わせないが、やはり口出しされると邪魔でしょうがない。が、口出しもせずに淡々と仕事をしている、あの変人集団の一員が。不気味だ。
 だがまぁ、大人しくしてくれていればそれでいいか。
「そろそろ時間だな」
 艦長は腕時計を見る、定期連絡受信の時間が近い。
「二次元座標はそのまま、バラストタンクに空気注入、VLF受信深度まで微速浮上」
「二次元座標そのまま、バラストタンクに空気注入、VLF受信深度まで微速浮上」
 バラストタンクに空気が注入され、艦底のフラッドホールから海水が排出されると、浮力が強くなる。水平を維持したままゆっくりと垂直浮上、VLF受信深度へ向かった。

 一方その頃、攻撃型空母躑躅、飛行甲板。日本では真夜中だが、ここロサンゼルスでは昼前だ。昼前だが、分厚い灰色の雲のせいで薄暗い。そして寒い。何しろ天気予報では雪だそうだ。それはたまらないと、コートを着込む者もちらほら居るが、この飛行甲板には凍結防止ヒーターが仕込まれている為、しゃがみ込めばそれなりに暖かい。今は、ヒーター作動中だ。
 任務中のリエナを除く翼の姉妹達はと言うと、流石に防寒着を身につけていた。女性軍人用のオーバーコートを入手して、各々に着ている。紺色で飾り気のない物だ。ガーベラとレオナは丁度良いサイズがあったが、もみじとアリスは若干合っていない。レオナ以外は衣服に振袖が付いている為、袖なしの物を着ていた。丁度、ケープを大きく下に伸ばしたような形で、所謂マントと呼ばれる物だ。
「今日はとっても寒いですねぇ〜」
「雪が降ると言っていましたわ」
「雪は初めてじゃの」
「……うん」
 雪が降ってもここには積もらない。だが、市街地などには積もるだろう。現地で一二月一七日、ホワイトクリスマスにはまだ早いか。
 もうすぐ初めてのクリスマス。アリス達は覚醒して半年も経っていない、クリスマスの知識は被験者の知識レベルで知っているが、体験した事はない。出来れば、初めてのクリスマスは本土で平和に過ごしたかった。だが、戦争が始まった事によって自分達が覚醒したと考えると、複雑な気分だ。だがしかし、マスターとなる人物は被験者として既に選ばれていたのだから、戦争が起きなくてもいずれ覚醒する予定だった筈。ならばやはり、平和が維持されている状態が続いていたら一番良かった。テロ組織残党との交戦や、人民解放軍との小競り合いがあるのだから、本当に平和が維持されていたのかと問われると微妙だが。対岸の火事と言うには脅威が近い。
 どうぼやいても現状が現実なのだから、どうしようもないのだが。U.S.A.J.が明日にでも降伏すれば、それは成るかも知れないが、降伏勧告は今に至っても受け入れられていない。
 しかしアメリカの国内情勢は、あの灰色の雲のように微妙な色を見せている。潜入部隊から入る情報の中には、国内を混乱させ続けるU.S.A.J.に対して随分と不満が高まっており、暴動に発展する例も確認され、U.S.A.J.の勢力圏内の治安が悪化しているとの報告がある。状況は確実に、U.S.A.J.にとって不利なほうへ流れ続けている。
 国内情勢を染める灰色の雲がいずれ晴れ、晴天となる日はいつの事か。
 アリスは、空を見上げた。
「……リエナと市川さん、今頃は何処かな」
「そうですわね……そろそろ朝顔に着艦している頃じゃ、ありませんの?」
「直線距離なら三〇〇〇キロもないからのぅ、要点を偵察して行けば今頃かの」
 多分、翼の姉妹達の仲では、リエナが一番遠くまで出張っている。偵察機という性質上は当然の事だが、アリス達の感受範囲外に出てしまうと、少し心配になる。
「心配ですかぁ〜?」
「……少し」
「大丈夫ですよぉ、今までだって大丈夫でしたからぁ〜」
 ぽけぽけとした笑顔で、レオナは言う。楽観的と言えばそうかも知れないし、不安はないのかと問われれば、全くないとは言い切れないものの、レオナ自身はリエナと市川なら大丈夫だと思っている。リエナの能力と市川の腕と勘が合わされば、エレメントリサーチャーの称号は更に高みに登る。それに偵殺機と呼ばれていても積極的に戦う訳じゃない、止むを得ない場合を除いて基本は逃げだ。
「……うん、大丈夫だね」
「そうですよぉ〜」
 リエナと市川の無事を祈り、そして信じて、アリスはもう一度空を見上げた。灰色の雲が覆う空は相変わらず薄暗かったが、一つ、また一つと雪が降る。
「……雪」
「あら、本当。降り始めましたわね」
 これが雪、アリスは掌で受け止めてみる。体温ですぐに溶けてしまったが、なんだか既視感を覚える。何処かで見たような、知識としてではなく、実際に体験した──そうだ、ゆっくりと降りてくる白い雪、それは、同化・実体化時の光の粒子に似ていた。
 アリスと同化したかのように、掌の上で溶ける雪。ゼロ・アリスを思い浮かべる、本当は一つである者、一つであるべき者。
 本体はアリスで、ゼロ・アリスは器。アリス個人の答えはもう出ている筈なのに、それを確信できなかった。
 何故ならば、秋元のゼロ・アリスに対する思い入れの強さを知っているから。当然である、アリスはその思い入れ、残留思念を素として覚醒したのだから。その思い入れの強さは、愛情・愛着・執着と、様々に言い換えられたが、アリスにとって一番不安なのは、愛情だ。ゼロ・アリスに向けられる愛情は、あくまでゼロ・アリスに対するものだと思ってしまった。だから、アリスは自分が本体なのか、ゼロ・アリスが本体なのかと迷う。ゼロ・アリスは自分であって自分でないと、認識しているから。自分であって自分でないのならば、どちらかが部品か器、愛情が注がれているほうが、本体なのかも知れないと。
 いや、それだけではない。あの夢だ、アリューシャン列島で見たあの悪夢。負の思念だ、あれは。あの人が愛しているのはゼロ・アリス、そう言われた。言われただけならば気に留めなければよかったが、アリスは秋元のゼロ・アリスに対する思い入れを知っている。言葉による否定も、否定になっていなかった。
 あの負の思念は、蒼晶石が集めてしまったものの塊だ。人に良くない影響を与える、負の思念。主人も気を狂わされた、そして私も。アリスは、ふと思う。蒼晶石に関わる人間は、何かしら悪影響を受けてしまう場合があるのでは、と。MLシステムで言えばその通りだ、だからそれを緩和する為に私が居る。だけども私のような存在が必要なのは、蒼晶石を媒介とする『何か』だけだろうか。素の状態の蒼晶石は、何もしないのだろうか。祖湯少佐は狂わされていない、けど、もしも精神力が弱かったり、強い願望があったりして、それに蒼晶石が反応したら……? と、アリスは思う。
 なんらかのシステムとして動き出した蒼晶石は、精神や思念などといった霊的なモノを吸収し、集束し、加速し、放出する事が出来る。吸収する思念はあらゆる思念だ、願望だけじゃない、疑念もそうなのだ。特にゼロ・アリスの蒼晶石は、既にMLシステムとして起動している。アリスの疑念が、蒼晶石を刺激した。
 そうして、もう一人のアリスとして、ゼロ・アリスが生まれてしまう。それは、自身を否定する、自分自身。自分が本体だという事を否定する、もう一人の自分。否定しているのはゼロ・アリスか、アリスか、ゼロ・アリスはそうは言っていない、アリスが本体だと言っている、納得していないのはアリス自身だ。
 では本体が自分だと確信して、器がゼロ・アリスだと確信したら、愛情はどちらに向いている?
 主人が愛しているのは、器のほう。それは嫌だ、私自身、、、を愛して欲しい。
 一言、尋ねれば解決する問題かも知れない。愛情がどちらに向いているか確認すれば、アリスの不安は解消するだろう。しかしそれは同時に、アリスの不安が的中する事にもなりかねない。だから、アリスにはそれを尋ねる勇気がなかった。
 小さくため息を吐いて、降り注ぐ雪を見つめた。
「おーいもみじ、なんだその組み合わせ、どうなってんだ」
 声がしたほうに振り返ると、そこには伊瀬と煤原が居た。
「あら、組み合わせとは?」
 もみじが答えると、伊瀬は袖なしオーバーコートを指差した。
「和服にそれはねぇだろ、なんか変だ」
「やっぱりそう思いますの?」
「そうだ。なぁ、煤原?」
 同意を求めてきた伊瀬に対し、煤原はもみじとレオナを見てから、頷いて見せた。
「その通りだ。服装の再構築を、要求したいところだ」
「あいぃ〜、そうですかぁ〜」
 まるで雨合羽を着ているような格好だ。実際、冬季雨具としての運用も考慮されているからそうなのだが、もう少しなんとかならないのかと。
「実体化する時に再構築するか、街に出て買い物するかすればいいだろ。やっぱもみじよぉ、それはなんか違うんだよなぁ。和服には和服の外套がいとう(オーバーコートの事)だろう」
「その通りですわ、やはりちゃんと各自で作り直しましょう」
「うむ、そうじゃのぅ」
 精神生命体に関しては、服装は基本的に自由である。書類上は、被験者の士気が上がるという理由だ。被験者との関係次第で、強くも弱くもなるのだから、被験者の興味がより一層向くように努力するのも、MLシステムという意味で言えば仕事だ。個人として言えば、乙女心というやつだが。
 乙女心に限った話ではないが、人の心というものは複雑だ。


━二〇五三年一二月二〇日一九時五〇分(現時時間一二月二〇日〇〇時五〇分)━
 海中に潜む巨大な金属鯨、戦略原子力戦艦 SBN-48 村正。日本海軍戦略六振りのうちの一振り、村正。妖刀伝説で名高い妖刀・村正、蒼晶石を搭載したタービュランスSLBMを内包する、妖刀に相応しい一隻。日本刀の銘を関した六振り計画は、この村正をもってして四振り目、金属鯨の妖刀・村正。その刃が向く先は現状、アメリカ本土。
 村正は、先日と同じ指定海域で身を潜めていた。定期連絡で指示を受けない限りは、基本的に同じ海域にて探知を避けながら留まっている。現海域は広い外海だ、余程の事がない限り、まず発見される事はないだろう。
 だが、こんな所でずっと身を潜めていると、戦争がどうなっているのかさっぱり分からない。VLF通信は送信に長い時間を必要とする為、定期連絡で送られてくるものは暗号化された符丁のみで、文章など一切ない。外界とは遮断された空間だ、これに耐えうる精神がなければ戦略原子力潜水艦の乗員はやっていけない。
 もうすぐ、定期連絡の時間だった。互いに戦略兵器の攻撃を受けたくないし、攻撃をしたとしても迎撃されてしまい、相手にそれの使用を正当化する理由を与えてしまうのは、メリットが薄い状況下、SLBMの発射命令が下る事はまずないだろうとは思っているが、それでもこの瞬間は緊張する。平時ならばここまで緊張する事はない、これは戦時だから特別緊張する。もし、連絡がなかったらどうするか、司令部壊滅とみなし、SLBMを発射するのか? 私と艦の幹部の判断は責任重大だ。艦長は、緊張を表には出さずに、命令を出した。
「二次元座標はそのまま、バラストタンクに空気注入、VLF受信深度まで微速浮上」
「二次元座標そのまま、バラストタンクに空気注入、VLF受信深度まで微速浮上」
 副長が復唱で答えると、即座に浮上の為の動作が行われ、村正はゆっくりと上昇を始める。
 艦長はSLBMの発射を望んでいないが、状況がそうさせるならばそれは仕方ないと思っている。では、この村正はどうなのだろうか。やはり、撃ってみたいと思うのか。訓練ではなくて、実戦で。興味が向く所はつまり、どの程度の大被害がもたらされるのか見てみたい、そう思うのか。だが、兵器に心はない、機械は機械だ。無人機のAIとてプログラムに過ぎない。人間に使われる道具、作るのも、それをどう使うか判断するのも人間。
 深度が速くはない速度で上がってゆく、艦内の気圧は一定に保たれたまま、モニターに映る数値はセントラルコンピュータからの信号を受けて、その数字を変化させる。VLF受信深度到達、深度五〇メートル、村正に設定されたVLF受信深度、そこからワイヤーで繋がれた通信ブイを繰り出して、深度一〇メートル程まで上昇させ、通信ブイから推進機付き受信用アンテナ線を数百メートル繰り出し、水中でVLF通信波を受信する。緊張の一瞬だ。本国のVLF通信施設か、若しくは長距離通信支援機からの通信が、この村正にどんな命令を下すのか。
 SLBMの発射は望まない。だが、それが命令ならばやるしかない。さて……
 VLF通信波、受信。大量にある暗号符丁の中から幾つか選び出し、それを組み合わせて簡素な文が作られ送信され、受信した。その内容は会話的ではない、余分な符丁を追加するのは通信時間が長くなるだけで、この艦を運用するに当たっては好ましくない。十数分かかって受信完了、この方式は水中での受信と引き換えに、文字が多くなればなるほど受信に時間がかかる。
「艦長、暗号符丁、来ました。暗号作成は日本軍司令部。解読完了です」
 司令部から定期連絡の暗号符丁が送られてきたという事は、少なくとも司令部は健在だ。艦長はほっとする。
「通信ブイ回収、内容をモニターに映せ」
「アイ・サー」
 解読された暗号符丁の内容が、艦長席のモニターに映る。[二〇五三一二二〇二〇〇〇 司令部健在 現状維持] 問題なし、いつも通りだ。なんとも簡素で素っ気ない、ここに留まってからずっと同じ文章。いや、少しだけ違う。毎回、日時に変化がある。言ってしまえばそれだけだ、たったのそれだけ。だが安心する、そのほうがいい。外界の情報などたったのそれだけだが、気が狂う事はない。艦長及び艦の幹部を含む乗員の多くは、ほかの戦略原潜の交代要員から選ばれたから慣れている。だが、奥野大佐はどうかな? 艦長は、チラリと奥野を見た。
 奥野は、微動だにしていない。至って平常、与えられた席に座って本を読んでいる。戦略原潜の開発責任者とは言え、潜水艦の長期乗艦経験などそう多くはない筈だが、ベテランのような雰囲気さえ出ている。ただ、何も関心がないように振舞っているようにも見えた。一体、何を考えているのやら。
 通信ブイの回収を確認し、次の指示を出す。
「受信完了、司令部の健在を確認。攻撃命令無し。よって現状維持。位置を移動する、ベント解放、ダウン五度、微速前進、面ぉ舵三度、方位〇二一」
「ベント解放、ダウン五度、微速前進、面ぉ舵三度、方位〇二一」
 舵の操作が行われ、自動で安定を保ちながら深度を下げつつ微速前進。同時に、艦首を北北東に向ける。ゆっくりと深度が下がってゆき、VLF受信深度をあとにする。これで、次の定期連絡の時間まで、再び深い深い海の中という訳だ。ここに居る者以外誰も知りえない、深い海の中。村正は息を潜めて、再び沈黙する。
 深度が深くなってゆく。八〇メートル、九〇メートル、一〇〇メートル……深度二〇〇メートル程に到達したところで、ふと、本を強めに閉じた音がすると、奥野が口を開いた。
「……また、現状維持かね?」
 途端に、発令所の空気が張り詰める。今まで黙っていた男が、急に口を開いたのだ。それも、不機嫌そうに本を閉じて、唸りのような声で。それには確かな怒りが感じ取れたが故に、誰もすぐには返答しない。しかし、大佐である奥野と唯一対等以上である艦長が、奥野のほうを向いて答えた。
「現状維持だ、我々は待機深度まで潜航する。何も変更はない」
「…………そうか」
 そう言うと、奥野は再び本を開いて黙り込む。変化のない原潜生活に、ついに我慢の限界が来たのかとヒヤヒヤしたが、どうやらまだ大丈夫のようだ。艦長は再び、モニターに映る数値を注視し始めた。
 深度が更に深くなってゆく。与圧された艦内にはなんの変化もなく、強靭な内殻は悲鳴を上げたりしない。深度五〇〇メートル、安全深度、そのまま水平潜航。静かに、静かに進む。この広い洋上で聞き耳を立ててる奴なんかいやしないのかも知れないが、それでも静かに進む。
 だが、タービュランスSLBMの蒼晶石だけが、ざわざわと喚いていた。誰にも聞こえない、蒼晶石の歓喜。蒼白い光を放っている。内包されているが故に誰にも見えない、蒼白い光。
 艦内は静かだった。現地時間は深夜、夜番の者以外は寝ているし、防音処理が施された各部屋は、外部に音を漏らしにくい。それだけじゃない、機関も静穏設計だし、ソナーも今は黙り込んでいる。海図によれば、ここいらはもっと深いし障害物もない。アクティヴ・ソナーは勿論、赤外線ライトや耐圧外部カメラを使用する必要はない。アクティヴではなくパッシヴな状態、受動的、受身、油断していた。それを疑う事は元よりなかった。皆、自分の職務に集中していた。
 不意に、艦長は後頭部に異物を感じる。何か硬い、そう、金属の筒が押し付けられた感触。それが拳銃の銃口だと悟るのに、一秒もかからなかった。振り向かずに、静かに声を出す。
「なんのつもりだ?」
「……定時連絡は受信できなかった、そうだろう?」
 この声、奥野か。艦長は息を呑む。
「何を言っている、現状維持だ」
「いや、受信できなかった。よってSLBMの発射が、我々の判断で可能となった」
「可能ではない、不可能だ。現状維持と指示された」
「いぃや、君は受信しなかったと認めざるを得ない。トリガーに指がかかっているぞ、解っているのか?」
 奥野は正気なのか? 表情を確認したかったが、振り向ける状況ではない。押し付けられた銃口が、更に強く頭部を押す。
「私や幹部はそのような判断は下さない、発射はしないぞ」
 発射にはまず、作戦計画書の封印を解かねば成らない。そしてその封印は、艦長と艦幹部の虹彩認証と、事前に与えられている、特定の計画書を対象としたパスワードがなければ解かれない。だが艦長は絶対に了承しない、ならば、奥野は艦長を殺してでも虹彩認証を行うに違いない。ほかの幹部はそれに怖気づき、了承してしまうだろうか。
 異様な雰囲気と物騒な会話に、発令所の面々は緊張する。艦の操作に直接関わらない者は、艦長と奥野を見てぎょっとする。
「か、艦長」
「うろたえるな副長、平気だ」
 平気だとは言うが、平気な訳がない。銃を突きつけられているのだから、平気なもんか。しかし迂闊な行動は取れない、どうすればいいのか。奥野は物凄い形相をしていた、目玉をひん剥いて、顔を真っ赤にして、口を開く時以外はずっと歯軋り。地響きのような声で、口調も何処かおかしい、音の強調が極端だ。まるで別人。
「さぁ艦長、まずは発射深度まで浮上してもらおう。その後、発射だ。タービュランスSLBMだよぉ、グレイトアックスなんてチンケな物じゃないぞ、タービュランスSLBMだ。解ったな? 艦長?」
「私は了承しない」
「強情だな艦長。諸君、何をぼさっとしている。浮上だよぉ、浮上。SLBM発射深度まで浮上! 早くしろ、早くだ」
「命令は私が出す! 現状維持!」
 今にもトリガーが引かれそうなのに、艦長は絶対に譲ろうとはしなかった。当然だ、ここでSLBMを発射などしたら、報復攻撃で本土が核の炎に包まれる。そんな事も解らない訳がないのに、奥野は何故こんな事をする? それは誰も理解できなかった。
 奥野の軍服のポケットにある『お守りの晶石』が、薄っすらと蒼白い光を発しているなど、誰も気付かなかった。そうだ、それは蒼晶石。この艦では奥野以外、誰も知らない。艦長すらも。
 撃ちたい。撃ってその威力を確かめたい。小規模実験など意味がない、実際に作動させなければ解らないその威力を、確かめたい。知りたい、知りたい、その威力が知りたい。ただただ、知りたい。
 知欲が暴走する、蒼晶石が囁く、知るべきだと促す。催促する。タービュランスの蒼晶石が歓喜する、知るべきだ、知るべきだ、知らずして知欲は満たされぬ。
 奥野の強い願望が、知る事への欲望が、蒼晶石を刺激する。強い思念が蒼晶石によって増幅され、更に更に強くなる。
 既に思考は停止していた、なんとしてでも発射させる、それだけだった。後先などはまるで頭にない。ただただ、知りたい。知りたくて知りたくて、たまらない。欲望が行動の最優先事項となり、あとは全て見えなくなる。
 さぁ、今すぐ発射せよ。
「早く、早く、早ぁく!!」
「構うな! 私に構わずコイツを撃て!」
「黙れぇ! 早くしろぉ!」
 奇声そのものの奥野の催促に対し、操舵手は現状維持で反発した。いつ艦長が撃たれるかも分からない状況で、内心ビクビクしていたし、緊張で涙が出そうだったが、艦長の命令厳守だ、艦の状態は現状維持。息遣いが荒い、身体が小刻みに震えている。何度も何度も、振り向こうとして止める、そのたびに眼球だけが動いて元に戻る。もしかしたら、自分が撃たれるかも知れない。そう思うと吐き気をもよおす。だけども、狂った男の言う事など聞くものかと、現状を維持し続けた。
 副長がふと気付く、奥野の手が震えている、あれは恐怖ではない、怒りだ。我慢の限界だ、もう待ちきれない、そう見える。誰も声を発しない、声を発した途端に撃たれそうだ。
 しかし、この状況を打開しようと試みる者が居た。水雷長だ、足音一つ立てずに、奥野の後ろに忍び寄る。それを見た副長は、奥野の気を逸らす。
「やめて下さい大佐、こんな事は」
「駄目だ、浮上だ、発射深度まで浮上せよ! 早く、早く、早くだ。早く! 早く早く早く! 今すぐ!」
「考え直して下さい、大佐」
「早く!」
 直後、水雷長が奥野の右腕を掴んで跳ね上げる。奥野は右手のみで銃を構えていた。咄嗟に力が入った奥野の手は拳銃のトリガーを引いたが、それは天井の照明を割っただけで、人間を貫く事はなかった。更なる発砲で周囲に危険が及ばないよう、水雷長は捻じ伏せる事はせずに、そのままの体勢を維持しつつ、奥野の左腕を捻って固める。水雷長の腕力は凄まじく、奥野が幾らもがいても微動だにしなかった。艦長は即座にその場を離れ、すかさず、副長が奥野に向かって銃を構えた。
「さぁ大佐、終わりです、銃を放して下さい」
「はぁ、はぁ、はぁ──」
「大佐?」
 近付くと、思っていた以上に、明らかに様子がおかしい。副長は首を傾げる、どう見ても正常じゃない。慣れない潜水艦生活、しかも任務開始から一ヶ月、ずっと海面浮上していない戦略原子力潜水艦での生活に、参ってしまっているのか?
 ふと、奥野の軍服の上着のポケットから、何やら光が漏れている事に気付く。銃を構えたまま、左手でポケットを探ると何かがある。それを掴んで取り出した副長は、目を丸くした。
「石……? 光っているぞ」
 それは、奥野がお守りだと言っていた蒼い晶石だ。蒼白く光っている、なんの光源もない筈なのに、それ自体が光源になっている。蓄光とかそういうレベルじゃない、脈動するかのように光っている。晶石、なのか? 石が光るなんて。副長は恐ろしくなって、海図台にそれを放り投げた。
「奥野大佐、あれはなんだね?」
 艦長が、問いかける。奥野は目と鼻と口から水分を垂れ流し、ガクガクと震えているだけで反応がない。手の力が緩んで拳銃が床に落ちると、副長がそれを拾う。
「一体、どうしたと言うのだ。大佐、君は正気か?」
 システム軍団が変人だらけだとは言っても、幾らなんでもおかしい。力が抜けて床に座り込んだ奥野は、まるで魂が抜けたかのように虚空を見つめていた。先程まであんなに激高していたのに、まるで別人……いや、先程の激高が別人だったのか。それとも、それが本性だったのだろうか。それにしては、気の狂ったかのような激高振りだったが。
 艦長は、副長が放り投げた蒼い晶石を見る。すると、それは既に光を失っていて、くすんだ青をしていた。そればかりか、蒼さすらゆっくりと失って、白くなってゆく。最終的には、白く濁った半透明になってしまった。
「あれは……なんなんだ」
 艦長にはそれがなんなのかは分からなかったが、それは確かに蒼晶石だった。奥野の知欲を吸いたいだけ吸って、吐き出したいだけ吐き出して、満足したかのように息絶えた。
 結局の所、奥野は正気ではなかった。蒼晶石にあてられて、精神を蝕まれていた。負の思念で気が狂うのとはまた違う、強い欲が凝縮され、放出され、その意のままに行動する。いや、それ自体は一種の負の思念かも知れない。とどのつまり、蒼晶石によって気が狂っていた。
 実際のところ奥野は放心状態で、その豹変に次ぐ豹変に、艦長は、奥野の行動に対する怒りというものが全くこみ上げてこない事に気付いた。そして同時に、もしや?と思う。
 あの晶石が原因なのでは?
 いや、ありえない。石ころにそんな力があるとは思えない、何処の超常現象だ。だがしかし、不思議な事にあの晶石は光っていた、光源がない筈なのに光っていた。蓄光とか蛍光とかそういうのではなく、脈動するように発光していた。何かしらの力を感じさせる、蒼白い光。しかも、光が失せると死んだように色を失っていった。
 艦長は、ふと思う。あの晶石は、技術開発部が何かしらの研究をしている物ではないのかと。奥野が所持していたからという単純な理由だが、あの晶石に何かしらの不思議な力があるのであれば、もしかするとそうなのかも知れないと思う。ではどんな研究をしているのか? まさか、マインドコントロールか? 味方は扱いやすく人形化、若しくは勇気の塊にし、敵は狂わせて無力化──艦長は少し恐ろしくなって、それ以上考えるのをやめた。
「奥野大佐、正気になったかね?」
 艦長が再び話しかけると、奥野は、ようやく放心状態か覚めた頃だった。
「私は……何をした?」
「覚えていないのか」
「……いいや、覚えている、だが何故そうしたのか解らない。いや、まさかそんな影響は──しかし、可能性はある」
「何を言っているのか解らんが、どうやら君達は、よく解らない物を研究しているらしい。それが何かしら君に影響を与えたと、私は確信した。そしてそれを所持した君がこの艦に居るという事は、この艦もまた、私の知らない何かがあるのだろう?」
「それは話せない」
「分かっている、私はこれ以上は詮索しないが、暫くは監視を付けさせてもらう」
「申し訳ない」
 さて、このような事態は表に出ると宜しくない。きっと軍は揉み消すだろう。奥野は技術者としては優秀だから手放したくない筈だし、彼の反応を見るに、やはり何か機密がある。それなら尚更だ。奥野の扱いは軍に任せるとして、とりあえず正気に戻ったようだからここは不問とする。奥野が居なければ、就役したてでろくに試験もしていないこの艦が、不安定に思えて仕方がない。不具合の修正をやって貰わねばならないのだ。
「幸い、怪我人は出なかった。なぁ副長?」
「そうです、艦長。そうだろう、水雷長?」
「電灯が破壊されただけです、艦の運用に支障なし。配置に戻ります」
 そう言って敬礼すると、水雷長は席に戻った。
「奥野大佐、この場は不問とする。報告はせざるを得ないが、そのあとは軍次第だ。本艦は任務中であり、とりあえず君はこの艦にとって必要で、利用価値がある。解るね?」
「了解、任務に集中する」
「それでいい。銃は預からせてもらうがね。それと持ち物のチェック。あと、あの晶石は倉庫に厳重保管だ」
 またおかしくなられても困るし、ほかの誰かがおかしくなっても困る。本当は魚雷発射管から水圧射出で海中投棄したいところだが、こうなった原因があの晶石であればそれも研究対象だろう。艦長は、奥野が狂った原因は蒼い晶石だと確信し、あの時は周囲の誰もが正気だった事を踏まえると、所持していなければ問題ないだろうと、倉庫への封印を命じて近付く事を禁じた。あの晶石はまだ不安定なだけなのか、それともそれが本質なのか。艦長には判らない。そもそも用途が分からない、艦長は想像するしかなかったが、不安になるのでやめる。
 蒼い晶石=蒼晶石、それは時として人を狂わせるのか。現に、奥野は狂った。秋元もアリスも、蒼晶石が集めた負の思念に狂わされた。前者は何かのシステムとして作動していない蒼晶石、後者は何かのシステムとして作動している蒼晶石。その影響力は、後者のほうが強いのだろう。システムとして完成しているから、思念の吸収や増幅、放出などの効率がいい。幸いにも両者とも一時的なものだったが、それが慢性的なものになったら、人格すら塗り替えてしまうかも知れない。
 蒼晶石は不可解な部分が多い、むやみやたらと利用してよいものではなかったのかも知れない。しかし、既に実用化してしまっているのだ、日本とアメリカで。余程の事がない限り、もう、後戻りは出来ないだろう。
 息絶えた蒼晶石と、沈黙した蒼晶石を抱えながら、村正は海中を進む。再び静かになった発令所は、何事もなかったかのように、皆が淡々と仕事をこなしていた。


━二〇五三年一二月二三日〇四時〇五分(現時時間一二月二二日一一時〇五分)━
 この辺りは薄暗く、雪が静かに降っている。積もる程ではないようだが、外は寒いのだろう。ようやく、躑躅が見えてきた。五日間程の偵察任務を終えて、市川とリエナは無事に帰ってこられた。機体に損傷なし、敵との遭遇も皆無、たんまりと情報を抱えて帰ってきた。
 距離が近付きだんだんと大きくなる躑躅を見て、リエナは、なんだか嬉しくなる。五日ぶりの母艦だ、翼の姉妹達も待っている。早く会ってお喋りしたいなと、リエナは笑顔で言った。
「ゴーストより躑躅へ。こちらGE-1 リエナ、只今帰還しました」
『おかえり! どうやら無事のようだな、安心したぞ』
『大丈夫大丈夫、だってマスターとあたしのコンビだもん♪』
『ハハ、そりゃそうだ! 誘導する、着艦体制に入れ』
「ゴースト、了解」
 着艦モード、選択。ギア・ダウン、フラップ・ダウン、アレスティングフック・ダウン、エアブレーキ・開、速度適性、エアブレーキ・閉。グライド・スロープに乗った。躑躅は、ロサンゼルス近海で停泊している。よって着艦は、艦が動いてない分だけ航海中より随分と楽だ。
『OK、そのまま、そのまま……よし! グッタッチ! いい着艦だ、流石エレメントリサーチャーだな』
「サンクス」
 着艦完了、何事もなく第3ワイヤーだ。幾度となく行なってきた着艦であるが、やはり任務を無事に終えたあとのは格別だ。「ああ、帰ってきたんだな」という安堵感、緊張から解き放たれる瞬間。周辺を取り巻く護衛の艦達が、非常に頼もしく見える。
 躑躅に比べれば駆逐艦は非常に小さな戦闘艦だが、高い速力・機動性と対潜・対空・対艦能力を持っている。巡洋艦は駆逐艦よりも速力・機動性に劣るが、攻撃・防御能力が格段に上がる。戦艦ともなれば駆逐艦に比して機動性は格段に低いが、最大の攻撃・防御能力だ。加えて、潜水艦や警備用の舟艇、そして航空戦力、今なら沿岸の陸上戦力が睨みを利かせている。非常に頼もしい。
 アレスティングフックを上げ、アレスティングワイヤーを外したところで、牽引車がやってくる。着艦を控えている機がいないから自走せずに移動、という事で、エンジンを停止し、キャノピーを開けて翼を折り畳む。牽引車の作業員と挨拶を交わすと、彼はトーイングバーを接続し、Rゼロ・リエナを第2エレベーターの方へ牽いて行く。途中で、甲板上に居る仲間達が手を振ってきたので、こちらも手を振って答える。すると、リエナがコクピット内に実体化し、同じく手を振って答えた。
 第2エレベーター前に到着すると、ぐるりとUターンし、今度は押す形で後進、エンジンノズルを海に向けてエレベーターの白線の内側に納められる。
「あ、みんな来たよ。僕はこのまま報告に行くから、リエナはみんなと話してきていいよ」
「うん、そうする♪」
「エレベーターを降ろすの、ちょっと待ってください」
 市川が、リエナが降りるまで待って欲しいと作業員に告げると、彼はエレベーターの担当者に『エレベーター降ろせ』のハンドサインを出さず、ラッタルを持って来て架けてくれた。リエナがそれを伝って降り、エレベーター上から退避したのを見届けると、作業員は『エレベーター降ろせ』のハンドサインを担当者に向けて出す。飛行甲板側にある黄色い点線の外側から手すりがせり上がると、エレベーターが降り始める。Rゼロ・リエナが格納庫内に収納されるまで、リエナはずっとそれを見ていた。
「ん、無事帰還、と」
 嬉しそうに言うと、リエナは、振り向いて挨拶する。
「やっほー、只今帰還だよ」
「……お帰り」
「お帰りなさい」
「お帰り、無事で何よりじゃ」
「お帰りなさいませぇ〜」
 五日振りの再会である。五日も見ないとみんな変わるもんだなぁなどと冗談を言って、リエナは服装について指摘した。
「みんな、なんかあったかそうな格好してんジャン」
 そう、雪がちらちらと降る程度には寒いから、温かい格好をしている。しかも、軍用のオーバーコートではなく、各自にデザインを考えた防寒着。一度機体と同化して、再び実体化する時に服装を再構築した。
 アリスは、丈の長い袖なしコートにケープがついた、インヴァネスコート。アクセントにダークグレーのラインが走っているが、それ以外は勿論白い。
 もみじは、和服によく似合う膝上丈の道行みちゆきコート。胸の辺りがコの字になっており、重なりは右胸辺りで真っ直ぐ下に下りている。裾には紅葉があしらわれていて、色は灰色。
 ガーベラは、前身頃まえみごろ(衣服のうち、身体の前を覆う部分)が重ならない構造の和服、羽織を着ている。色は薄めの水色で、柄は白い菊。
 レオナは、黒いオーバーコートにレースやりボンなどがついたゴスロリコート。白がアクセントだ。ほかの三人と同様に丈は長く、膝上くらい。
「もっと寒い時バージョン、みたいな感じカナ?」
「そうですわね。今日みたいに寒い時は、コートが欲しいですもの」
「しかしリエナはそのままかの?」
 ガーベラの言う通り、リエナの服装は外見に変化がない。冬用に厚手にしたくらいで、コートの類は無しだ。
「へっへー、あたしは元気がとりえだからネ」
「元気だけが、かの?」
「だけが、じゃないしっ」
 そう言ってリエナが、わざとらしく怒って見せると、ガーベラは、笑って「冗談じゃ」と言った。
 五日振りのお喋り会を楽しんでいると、第2エレベーターが上がってくる。載せられているのは、第4飛行小隊[アストラル]のゼロが三機。ちらりと艦首側、第1エレベーターを見ると、そこにも二機、これもアストラル小隊機だ。どうやら哨戒任務に出るらしい。邪魔になってはいけないと、簡易格納庫へ移動した。
 簡易格納庫は、五枚の扉が、正面から見て左に移動する事で開くシャッター式で、今は一番右側の一枚だけ開いている。お喋りしながら内部に入るとそこは暖かく、ゼロが一機、格納されている。ゼロ・アリスだ。必要な時にすぐに使いたい、という事でここで待機中。待機任務の場合、パイロットらは通常、レディルームで待機しているのだが、簡易格納庫で機体が待機している場合、秋元はよくここで寝ている。
 今も寝ている、筈だったが、丁度起きたようだ。リエナを見て、あくびをしながら声を出す。
「あー、リエナぁ? ああ、戻ってきたんだな。お帰り」
「ただいま♪」
「市川は?」
「マスターなら、艦長のトコじゃないカナ」
「戻ったばっかりか。じゃ、ちょっと行ってくるかな」
 秋元は立ち上がり、伸びをして、アリスに「艦長の所へ言ってくる」と告げると、艦橋へ向かった。
「あれ、アッキーってば待機中じゃないの?」
「……待機任務は、今終了したよ」
「あ、そうなんだ。それで起きたのネ」
 現地時間一一時三〇分、ホーリー・ハウンド小隊の待機任務は終了した。
「待機任務終了と同時に起きるとは、いろんな意味で流石じゃのう」
「寝てるだけの任務ですかぁ〜?」
「一応、休むのもお仕事ですもの」
 のん気なものだが、待機中だったから仕方がない。とは秋元の弁。実際、待機中は皆、リラックスしているものだ。緊張が走っているような状況でなければ、だが。戦争中とは言え、今は作戦中でもないし、増して大戦力に囲まれた中での停泊中なので、そんなに緊張感はないようだ。
 ふと、アリスは気付く。ゼロ・アリスが、BSCCDを通してこちらを見ている。彼女の姿はアリスにしか認識できない、アリスの疑念が生み出した存在。会話に入りたくても、主人と話がしたくても、彼女にはそれが出来ない。彼女は、アリスの疑念そのものか。アリスの疑念が、ゼロ・アリスを生み出した。
 蒼晶石は思念から何かを生み出す。アリス自身、秋元の強い残留思念から生まれたし、負の思念からはあの黒い霧の顔を形成した。
 秋元とアリスを狂わせた。
 それは、蒼晶石が何かのシステムとして動き出した時だけなのか? アリスは、そんな事はないだろうと何故だか思う。強い思念があれば、何かしら影響があるのでは、それは悪い方向のほうが強く出るのではと思う。蒼晶石とは、もともとそういう物なのでは、と。
 蒼晶石は、負の思念ばかり、あまりにも集めるから。
 もしかすると、執着心も負の思念の一種なのでは? そこに『この機械が好きだ』などといった類の正の思念が混ざっているから、辛うじて自分が覚醒したのではないか。MLシステムが、方向性を定めてくれたのかも知れない。そうなるように作られたシステムなのだから。
 そうか、それで負の思念だけ弾くという事が出来ないんだ。アリスはそう考える。負の思念も、正の思念も、どちらも必要なのだと。自分が人である為に、人らしくある為に、どちらも存在する必要があったのだと。
 考えてみれば、焼きもち、つまり嫉妬も負の思念の一種なのだろう。ただ、それの色が黒くなければ、精神生命体達は負の思念とは呼ばない。同じ思念でも、白かったり黒かったり、灰色だったりする。色が黒いのが、負の思念だと言う。
 広義と狭義。思念の大半は、方向を誤ればすぐに黒くなる。それは、知欲もだ。





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公開日:2012/12/31
赤い瞳、白き翼 -ALICE- 〜第3外洋機動艦隊〜
第35話「知欲の終着点」

(c) 2012 フランカー@アキモト(秋元 健太)