赤い瞳、白き翼 -ALICE- 〜第3外洋機動艦隊〜





 ジェイン派は、大きく分けて強硬派と穏健派に大別できた。実際にはどっち付かずの者も多く存在するが、それらは『その他』の内の一つに過ぎず、強硬派・穏健派もそこから更に詳細に枝分かれするが、大雑把に言えばこの二派で二極化されている。
 当のジェイン本人はというと、強硬派ではないものの、穏健派でもなく、中道的な考えを持っている。それはその筈、ジェイン本人を基準として、強硬派・穏健派と方向性を大別しているのだから。
 クーデター当初は強硬派の力が非常に強く、発言力があったが、急速な戦線の拡大と度重なる戦線の後退に、次第にその発言力を弱めていった。時期尚早だとの意見を無視した結果であるからして、これも当然の結果だと言える。特に、穏健派の強硬派に対する不信感は強くなる一方で、またその不信感の矛先は、強硬派の意見を呑んだジェインにも強く向き始めていた。




第36話「クリスマス・イヴ」

[たまには高いほうで]




 現地時間二〇五三年一二月二四日一五時二〇分(日本時間一二月二五日〇五時二〇分)、ワシントンD.C.、ホワイトハウス・ウエストウイング。大統領執務室を始めとした各上級スタッフ・オフィスなどが入るアメリカ政府の中枢には、臨時政府が設置されている。U.S.A.J.が統括する現・アメリカ政府は、スナット・トロフウ政権から引き継いだジェイン派の議員を閣僚としつつも、ジェイン元帥を大統領とし、各軍の重鎮を中枢に迎えた軍事政権を形成している。よって軍の発言力は非常に強く、それを芳しく思わない議員も多いが、反ジェイン派議員は拘束・軟禁されている為、それを懼れて反発を控えている状況だった。
 今、会議が行われているここでも、軍人ではない閣僚の発言力は低く、肩身の狭い思いをしている。
 ずらりと勢ぞろいした首脳陣は、ジェイン・ジョグナスを長とし、陸軍・海軍・空軍・海兵隊・沿岸警備隊の将官を筆頭に、国防長官は当然として、国務長官や財務長官など、発言権を持つ者の総勢四八名。その中にあって、軍人ではない閣僚は、陸海空海兵の将官よりも発言力が低い。しかし閣僚の多くはジェインの由とする人物。国防長官ですら、ジェインの操り人形を据え置いただけで、肩身の狭い思いをしていると感じているのは、その他の閣僚だ。操り人形は、そもそもジェインの発言が全てであるから。
「断固、徹底抗戦だ! 今降伏するなど、我々に不利になるだけだ!」
「だが君、現実に本土決戦となっているのだ。負けるにしても、負け方がある」
「貴様は負けるなどと考えているのか!」
「状況を見たまえよ、君」
 強硬派のリーダー格、ヨゼフ・ブラウン海軍中将と、穏健派のリーダー格、ポール・デイラージ空軍中将が言い争っている。ヨゼフは今にも爆発しそうな顔をしているが、デイラージは静かに怒りを抑えて冷静に話す。連合からの降伏勧告が三〇回を越えたところで、U.S.A.J.の首脳陣が集まりその事についての論議を交わしていた。
「連合は、アラスカとロサンゼルス周辺を押さえただけで勝ったつもりでいる。核戦力は睨み合いのこう着状態で、双方とも無いも同然である以上、短期間にこんなにも降伏しろと喚くのは、彼らも長期戦は避けたいのだと思うが」
 爆発しそうなヨゼフに変わって、強硬派の一人、陸軍中将の男が意見を出すと、すかさず、デイラージが答える。
「それは我々も同じだよ、東西南北から進攻を受けているのはお解かりか?」
「勿論だよデイラージ君。だが、我々は降伏するわけにはいかないのだ。クーデター軍だという事を忘れてはいまいか。連合は必ず、ジェイン閣下の政権を撤回し、旧政権の復帰を要求するぞ。トロフウ前大統領らが、日本に亡命しているのだ。外遊中だった前政府関係者も、日本に亡命したという話じゃないか。U.S.A.J.が取り仕切る現政権を維持、これが為されなければ終戦は有り得ん。降伏ではなく、停戦だ」
「そうだ! それには我々が連合を本土から追い出さねばならん! 最低限、そのくらいの力を見せ付けねばならん! 無人機をどんどん生産しろ、我が国には資源がある!」
 陸軍中将に続いて、ヨゼフは、机を強く叩いて意思を強く示す。
「それが可能な時期は既に過ぎたのだ。生産拠点とて、ボイコットが出る始末。財政もガタガタだ」
 ため息をつきながらデイラージが言うと、「弱腰の穏健派め」と外野から野次が飛ぶ。
 この戦争を強行したのは、強硬派だ。穏健派の反対を押し切り、今にも爆発しそうな勢いでスナッフ・トロフウの行動に反応し、今やらざるを得ないと煽り立て、若い兵をその気にさせてこのザマだ。強硬派自体、他の協力者を国内外にも抱えていて、その者達の立場や思想からなる、様々な思惑を含んだ強い突き上げを喰らっていた。そして現状、戦争を強行した手前、引き下がる事の出来ない所まで来ている。強硬派にもメンツがあった、要はU.S.A.J.内部での権力争いだ。穏健派からすれば、降伏して和平条約を結ぶべきだというところであったが、U.S.A.J.の解体とジェイン政権の崩壊は避けたかった為、結局は交戦姿勢を取らざるを得なかった。
 尤も、ジェイン本人が降伏だと言えば、『基本的には』それに従うしかないのだが。
「ジェイン閣下はどうお思いで?」
 デイラージが、ジェインに問いかける。眉間にシワを寄せて話を聞いていたジェインは、一言、言った。
「敵が我が国を侵略している、ならば当然、抗戦だ」
 強硬派の面々は、拍手喝采を送る。軍人・政治家共に、流石はジェイン閣下だと、それでこそジェイン閣下だと。今にも爆発しそうだったヨゼフの顔は、満面の笑みに満ちている。
 穏健派の面々の反応は、一様ではなかった。本土に喰い込まれている以上、降伏か否かのタイミングは難しい。主権を奪われるとなれば尚更だ。奴らは多国籍の国際連合である以上、勝てば官軍を地で行く無法統治をされる事もないだろうと、主権の剥奪それも止む無しと考える者は、溜め息をついた。世界に対する影響力を低下させる一方であった、トロフウ政権以前の『戦争・紛争不介入』に戻る事は、強いアメリカを取り戻す機会を失うのではと、そして、U.S.A.J.の解体と、その責任によって軍縮を強いられるだろうという懸念は、やはり、強いアメリカを取り戻す機会を失うだろうという公算になり、小さな拍手だけを送る者も居る。
 肩身の狭い思いをしている、現政権を良く思っていない閣僚は、頭の中で呟いた。都合のいい話だ、最初に侵略を開始したのはどっちだ、と。
 会議はジェインの鶴の一声で終了し、連合からの降伏勧告は受け入れない事が決定された。結局、ジェインをリーダーとしたクーデターである為、ジェインの意思が方向性を決める事となる。しかし、ジェインが降伏すると言ったところで、強硬派がそれを断固阻止するだろう。強大な派閥を利用して、断固阻止だ。
 強硬・穏健問わず、人間の感情が勢い付き、それが最大勢力となると、恐ろしく厄介で歯止めの利かない凶器だ。国家で言えば、国家のメリット・デメリットを踏まえたバランスが大事だが、それもまた難しいところである。この状況は、どうだろう。
 デイラージは、眉間を指で押さえながら、会議室をあとにする。その後ろ姿を、ヨゼフは勝ち誇ったかのように見ている。振り返った時に見たその顔に僅かな怒りを覚えつつ、デイラージは思考を巡らせた。

 会議が終わり皆が退出すると、ジェインはゆっくりと立ち上がった。どんな顔をしているのかと、側近が恐る恐る覗き込むと、ジェインは僅かな笑みを浮かべていた。側近は、これはこれはと姿勢を正し、ニヤリと笑う。戦意喪失を危惧していたが、先程の徹底抗戦の構えは必要に駆られてではなく、自分の意思での宣言だ。そうでなくては、困る。
 側近の男、アーネスト・グッドマンは、時計を見た。
「閣下、お薬はお飲みになりましたか? EFMシステムは精神負担が大きいのですから、しっかりとケアをして頂かねば」
「分かっているよ、グッドマン君。会議の前に飲んだ」
 EFMシステムによる精神負担をケアする薬、名称は「テレパスケアA」、ジェインはそれを毎日、朝昼晩の3回服用している。EFMシステム開発者のジェセフ・E・フラットから、服用を義務付けられている物だ。EFMシステム専用に開発された新薬らしいが、ジェインには詳しい成分は解らないし、興味がない。これとは別に、EFMシステムを使用する際に「テレパスケアE」という薬を服用している。テレパスケアEは、EFMシステム使用時の負担を和らげる薬だ。一度、飲むのを忘れてシステムを使用した事があるが、急激な心拍上昇や目眩、不安定な言動、判断力の低下、そして意図しない過剰な残留思念の感知などなど、好ましくない事が多々起きたので、テレパスケア錠の効果は確かな物らしい。
 EFMシステムにより戦闘に参加するようになってから、心なしか、心身共に若返った気分だ。そう、若い頃に戻ったような気分。剥き出しの闘志ではなく、静かに強く溢れ出る闘志、実力、炎が漏れ出ているファイアリークと呼ばれていたあの頃に。最高指導者でありながら前線に赴く、EFMシステムによって本人に死のリスクはないが、ジェインの心は燃え上がる。
 戦いだ、闘いだ、高級なイスに座っているだけの状態は御免だ、心が冷える。
 だがその為に戦争を起こした訳ではない、志はあった。世界の統一は、何れ必要になるのは明白だ。必要であるという証拠が出たからだ、山中に輸送船のような物が自然に埋まっている訳がない、我々より遥かに高度な技術を持った何者かが、埋めたのだ、どうやって? 知らない。目的は? 知らない。今となっては、もう、それはあとから付いてくる大義名分。
 戦い、闘い、戦争、闘争、戦闘、敵がいるから打ち倒す、追い出す。決着を着ける。なんの問題があるのか、なんの疑問があるのか、疑問を呈するモノは気が狂っているのだ。
 ジェインの目つきが、鋭くなる。闘志に燃える眼だ。
「部屋に戻る。グッドマン君も休みたまえ」
「はい閣下、お疲れ様です」
 ジェインと別れると、グッドマンはホワイトハウスの外に出る。外は異様な雰囲気だ、武装した軍人が何人もうろついているのは勿論、対空車両や装甲車両まで配備されている。その内の一台、U.S.A.J. MARINES WHG05と書かれたHMMWVハンヴィーに向かう。警備の海兵隊員と挨拶を交わすと、車内に乗り込む。誰も乗っていないので、話を聞かれる心配はない。暗号回線を使う特別製の携帯電話を取り出すと、アドレス帳機能を呼び出して、相手の電話番号を選択、発信する。三回のコールののち、通話開始。相手はジェセフ・E・フラットだ。
「ハロー、ジェセフ」
『やぁ、アーネスト、会議は終わったようだね』
「ああ、予定通りにね」
『ジェインの様子は?』
「確実な闘志を感じたよ、このまま最後まで突き進んでくれるだろうね」
 グッドマンは包装されたテレパスケアA錠を一つ取り出し、親指と人差し指に挟んで眺める。ごくごく普通の、カプセル錠だ。色は白と蒼、ただのカプセル錠に見える。
「この薬は良く効く」
『遅効性だがね』
「いやいや、ゆっくりじっくり効いてくれたほうがいい。あまり暴走してもらっても困る。素直且つ強い闘志を持って頂かねば」
『ジェインは元々、強い闘志の持ち主だ。ファイアリーク・ジェイン、アメリカ空軍最強のファイター・パイロット。だった。平和国家を掲げたこの国で、最高司令官などしていたものだから、随分と冷え込んでいただろう。だがこのクーデターによって、ジェインの闘志は若い頃に戻っている。まぁ、皆の前ではあまり表に出さないがね』
 電話口の向こうで、含み笑いが聞こえる。
『尤も、テレパスケアの効果もあるがね。ジェインはまさに、若い頃に戻った気分だろう』
「破滅の時期は近付いているけど、ね」
『それも予定通りだ。この星はもっと技術的に成長せねばならん、戦争の為の技術だ。テロ組織は流石に限界だからね。新たな火種はこの国、一つ着火すればまた広がる』
「それはそうと、最終決戦の舞台は整えているのか?」
『勿論だよアーネスト。XII(トゥエルブ)は私が、XIII(サーティーン)はジェインが』
「そうか。……ジェセフ、終わっても戻る気は無いのだね?」
『無い。私はゲームを楽しむ、そして最後までやりきる。勝利が事の終わりでも、敗北が事の終わりでも、やりきる。途中で投げ出したりはしない。役割は果たしているのだ、あとは好きにさせて貰うだけだよ』
「仕方ないな、だが痕跡は残すなよ。君はあくまでこの星この国の住民、ジェセフ・E・フラットだ」
『分かっている、ぬかりはない』
「だろうね」
 ここまで来たら、負ける公算が大きい。それを解っていて、ジェセフは最後までやりきると言った。敗色濃厚でもゲームは必ず最後まで、いつもそう言っている。投了などありえない、それはゲームに対して失礼だと考えている。ならば、最後まで見届けてやろうと、グッドマンは思う。
 グッドマンとジェセフは軽く挨拶を交わし、通話を終了した。ダッシュボードの上に携帯電話を置く。
 さて、もう暫くは戦線の維持が出来るだろうが、いつまで持つかな。グッドマンは、ロサンゼルス戦線を頭の中に描く。連合が居座っている、ロサンゼルスだ。ここを突破される日は恐らく近いだろうが、そのあとはゆるゆると後退しつつ、ワシントンD.C.での最終決戦が望ましい。やはりゲームはドラマチックでなければならない、異なる方面から進攻する連合軍が集結し、敵国首都で最終決戦。これだ。戦争を出来るだけ長引かせるのが目的だが、ゲームとして見ればやはり、最終決戦は敵の本拠地で決まりだ。ワシントンD.C.は海に面しているから不安材料は多いが、大西洋側は既に戦力を分厚くしてある、内陸側の連合が到達するまでは持つだろう。が、持たない可能性も十分にある。
 もう少し、混乱させてみるか。グッドマンは考える、強硬派を炊きつけて、穏健派にアクションを起こさせるのも面白い。
 ならば、と、再び携帯電話に手を延ばす。ハワイに潜伏する仲間と連絡を取りたいが、通信規制が敷かれているから少し面倒だ。ジェセフに頼んで、抜け道を使わせてもらおう。先程通話を終了したばかりだが、グッドマンは、再びジェセフの携帯電話に向けて発信した。
 亡命した前政権の高官達と、強硬派を利用して、穏健派を新たな一石としよう。更に、使える駒はすべて使う。連合内部の工作員や、こちら側の、、、、、市民団体なんかも使えるな。上手くすれば、内陸側の進攻が早まり、内陸と海との挟み撃ちが実現する筈だ。


 同日、現地時間一五時三〇分。午前〇時を回ってから一五時間半、そのあいだにU.S.A.J.からの攻撃は四回あったが、それらは小規模な、せいぜい小隊程度の戦力による遠方からの攻撃・即撤退のみで、本格的な攻勢は今の所確認されていない。牽制球を投げている、といった所か。戦力の移動をしているのかも知れない、後退しているのか、それとも前線に集めているのか。それを探るのは、偵察部隊の役目だ。
 ここはロサンゼルス近海。眼下に見えるのは攻撃型空母躑躅、飛行甲板。先程まで降っていた雪は街を白く染めていたが、躑躅の飛行甲板は凍結防止ヒーターのおかげでいつもの黒っぽい灰色をしていた。艦首には日の丸を現す白い円線、カタパルト作動時に航空機が走る危険範囲を示した赤い破線、着艦デッキの距離感覚を補正する突付き白線と、はみ出しを禁止する橙色の線と破線、エレベーターの内側を示す白線と、飛行甲板側を示す黄色の線・破線など、そして躑躅を示す艦尾の『03 ツ』。全てが凍結は愚か、積雪とも無縁であった。しかし、この躑躅を上から見た時、確かに飛行甲板に積雪はなかったが、艦橋構造物やアーマードスポンソンなどは、ヒーターを装備していないので積雪があり、艦舷のサイドアンテナは角度を下に向けて、積雪を極力防いでいた。
 ヒーターを装備していない部分はどうするのか? それはNBC防御や鎮火の為に使用する噴水口で溶かすし、噴水口は温水を噴射する事もできる。お湯を使って雪を融かす、ただそれだけのシンプルな行為。ただしそれは、氷点下では使えない。氷点まで冷えれば、水がまた凍る。温水を流し続けるならば良いかも知れないが、そうしなければならないような箇所はヒーターが通っている。
 上から見ていると、丁度、融雪時間のようだった。温水が湯気と共に噴射され、雪を溶かし始めた。成る程、と、秋元は呟く。着艦作業は一時休止と言われ、上空待機中だったが、そう言えばそんな時間だ。緊急時でもなければ、予定通りに執り行われる。見る見るうちに融けてゆく雪が海に流れ落ちると、その黒っぽい灰色の船体をはっきりとさせた。決して高温ではないが十分な温度を持つ融雪用温水と、融雪により生まれたぬるい温水が、派手な湯気を上げ、お湯のしぶきよりあとに消えた頃、着艦許可が下りる。
『HH-1 アリス、着艦再開、着艦せよ』
「HH-1 アリス、了解」
 システムを着艦モードへ。速度を適性に保ち、緩やかに降下、グライド・スロープに乗る。HMDに映る角度計の色は緑、これが赤になると『テイルコーンを着艦デッキに擦るぞ』という警告になる。加えて艦も揺れているから、コントロール側から送られてくる挙動データを加味して、ゼロ・アリスのセントラルコンピュータが警告を出す。実際に擦ってしまうと大マヌケ扱いだ。やった事はないが、やった奴を見た事がある。だいたい、今の状態で擦ったら、きっとアリスの尻尾が傷付いてしまうだろう。何しろフランカー・ゼロの長いテイルコーンは、どう見ても尻尾だ。
 因みに警告音・音声まで出てしまうと、『頭から突っ込むぞ』若しくは『ケツをぶち壊す気か』というレベルに達する。そのまま行けば死亡事故にもなりかねないので、要注意だ。
 アレスティング・フックが着艦デッキを叩き、ワイヤーを捕らえて急制動。叩きつけられるようにしてタッチダウン。まさにコントロールされた墜落、幾度となく行ってきたがこの瞬間は緊張する。
 フックを上げてワイヤーを外し、誘導員に従って移動する。ステアリング・ロックスイッチを解除し、ステアリングボタンを押しながらラダーペダルを踏み、方向を変えて着艦デッキ外へ。牽引車と接続され、後進でエレベーターに載せられると、秋元は、キャノピーを開いて外の空気を吸った。そして第一声が、これだ。
「あ〜、腹減った」
《……遅めのお昼の、時間ですね》
「そうだ、飯だ。報告なんて後回しだ」
《……はい》
「いや、冗談だからね?」
《……はい》
 本当に冗談で言っていたのかは怪しいが、本当に肯定していたかは確かである。アリスは本気で肯定していた。主人が言うのだからそうなのだと、肯定した。良くも悪くも、強い忠誠心と愛情を持っている。持っているが故に、自分が二人に分裂してしまった事に強く、強く悩んでいる。
 主人を独占したい、私が本体のである筈だけど、本当にそうなのか自信が無い。
 エレベーターが降りて上段格納庫に移動させられると、ラッタルが掛けられ、秋元はゼロ・アリスから降りた。
 その様子をBSCCDで見ていたアリスとゼロ・アリスは、蒼晶石の中で会話する。
《アリス、今日はクリスマスよ?》
《……うん》
《マスターと何か予定はないの?》
《……お昼ごはん》
《そう、ね》
 そういう事じゃないんだけどなと、ゼロ・アリスは、視線を秋元に向け続けた。
「アリスー、報告に行くぞー」
《ほら》
《……うん》
 頷くと、アリスは実体化する。ノーズギアの辺りから白く淡い光が零れ落ち、それはやがて人の形を形成し、アリスが実体化した。
「(確かに、マスターとお出かけしたいけど……でも、今はアメリカ本土、マスターの身にもしもの事があったら、嫌だから)」
 こちらを見つめているBSCCDに対し、アリスは、首を小さく横に振って見せて、秋元の後を追った。

 第一デッキである飛行甲板からゼロ・アリスごとエレベーターで降り、上段格納庫でアリスが実体化、そこから艦橋へ直結しているエレベーターを使い、室内へ。安里に報告をし終えると、階段を下りて一階下の橋構(艦橋構造物)・休憩室で暫し休憩をとる。そののち、再びエレベーターに乗った。
 第一デッキ・飛行甲板/フライト・デッキ、第二デッキ・砲廓甲板/ギャラリー・デッキ、第三デッキ・上段格納庫/ハンガー・デッキまで降りて、そこから少し歩いてエレベーターを乗り換え、第四デッキ・下段格納庫/メンテナンス・デッキ、第五デッキ・第一生活甲板/第一ライフ・デッキを抜けて、第六デッキ・第二生活甲板/第二ライフ・デッキへ到着。第六デッキ自体は二層構造で、軽量高強度複合材床がレベル12、厚さ一〇〇ミリの複合甲板がレベル13と呼ばれ、第六デッキに於いて重量のかさむ施設は、強度が高いレベル13に設置される。そう、第六デッキの最重要区画、フードエリアだ。
 艦橋から直結のエレベーターで降り、途中で乗り換えて、第六デッキ・レベル13まで降りたら艦の中心方向へ向かう。そこには躑躅亭があるから、今日のご飯もカレーなのだろうと、アリスは思っていたが、秋元は躑躅亭を素通りした。
 どうしたのだろう? アリスは不思議に思ったが、そのままついてゆく。方向は艦首を北にして西側、艦首方向、目的地はどうやら、カフェ・ネイビーフラワーではないらしい。
「さて、今日はここで昼飯だ」
「……あ……はい」
 きょとんとするアリスに対し、腕時計を見てから財布の中身を確認する秋元、そしてその眼前にはレストラン『海上の華』。艦内に二つあるレストランのうち、“高いほう”のレストランだ。高いだけあってその味は、高級レストランと呼べる程のものだが、だからと言って、パリッとしたスーツで正装してご来店くださいといったルールはない。何しろここは攻撃型空母躑躅の艦内、軍服も、パイロットスーツも、作業服も、正装だ。勿論、あまりに油まみれでドロドロでは周囲の視線が痛いし、流石に断られるが。
「大丈夫だ、俺の奢りだ。警戒待機だから一品とデザートだけな、クリスマス限定のがあるらしい」
 財布の中身を確認し終えると、秋元は、アリスの頭を撫でた。
 普段は躑躅亭で食事を摂るし、有料食堂と言えばカフェ・ネイビーフラワーだったアリスにとって、初の“高い飲食店”だ。アリスも軍人だから、給料は手当てという名目で秋元の口座に振り込まれているが、基本的に戦闘機として空を飛ぶ事のみが仕事なので、税金や保険料などを差し引かれると、金額としては一般的な短時間のアルバイト程。軍はあくまで、給与に関しては戦闘機として扱っている。本来、戦闘機に給料は出ない。だが、精神生命体の扱いは人間だ、あいだを取っての金額だ、実績に応じて昇給するという事らしいが、MLシステム実装による人件費負担を抑えたいという発想が見て取れる。とは言え、家賃も光熱費も普段の食費も掛からない空母生活、金銭的負担は限りなく低い──のだが、高い飲食店で食事、という発想はアリスにはなかった。
 尚、秋元にも高い飲食店で食事という発想はなく、ここに来るのは非常に珍しい。たまには高いのを食べようぜと、伊瀬に誘われて来る事はあったが、自ら来るのは初めてだ。だが言い換えれば、来た事はあるので味と正確な金額を知っている。高いだけあって美味い。こちらにも、躑躅亭料理長・吉岡 勇に勝るとも劣らない一流のシェフが居るらしい。二四時間開店の大食堂である躑躅亭は、全ての料理に吉岡の手が加えられる訳ではないが、営業時間が決まっている上に規模が小さい海上の華では、料理長が全てに五感を光らせているのだ。
 秋元が意気揚々と足を踏み入れると、アリスはそれに着いて行く。すると、すぐさまスタッフに声をかけられた。
「いらっしゃいませ」
「あ、予約してた秋元です」
「秋元様ですね? お待ちしておりました。御席に御案内致します」
 スタッフに案内されて席に着く。予約していたのは窓際だ。窓際と言ってもここは、躑躅の中心部、外など見えないし、そもそも躑躅の舷側に窓はない。では何が見えるかと言うと、極薄のモニターに映し出された、美しい自然の風景だ。今日はクリスマスらしく、雪が優しく降る冬の草原だ。
 着席すると、まずは飲み物が出される。これは予約時に注文しておいた、白ブドウのスパークリング・ジュースだ。待機中のパイロットとしては、アルコールの摂取はできない。
「…………」
 艦の揺れで食器が落ちないように縁に板が取り付けられたテーブルには、真っ白なテーブルクロスが掛けられていて、そこに二つ、ワイングラスが置かれる。高そうなグラスだ。そのワイングラスに、スタッフが栓を開けたばかりのスパークリング・ジュースを注ぐ。ゆっくりと、炭酸で溢れてしまわないように、静かに。注がれたスパークリング・ジュースが、液面を落ち着かせた頃、ふとアリスを見るとガチガチに固まっている。どうやら緊張しているらしい。
「大丈夫だよ、そんなに固まらなくても」
「……いえ……でも」
「周りを見てみなって、誰も彼も躑躅の乗員だ。ほら、知ってる顔も居るだろ?」
 チラリと辺りを見回すと、ツナギ姿の整備員や、パイロットスーツのままの者、軍服でパリッと決めた者や、作業服姿の甲板要員などなどが目に入り、中にはRゼロ・リエナの担当整備員も居た。
「……はい」
「だろ? それにここはな、一般的な高級レストランとはちょっと違う。何しろ空母の中の高いレストランだ、緊張する事なんかなんにもないぞ。割とテキトーだろ、みんな」
「……はい」
「だからテキトーでいいんだ、大騒ぎしたりしなきゃな」
「……はい」
 それじゃあ、と言うと、秋元はグラスを持つ。秋元はキリスト教徒でもなんでもないのだが、クリスマスを祝うのはもはや日本人の習慣だ。だから、神様とかそういうのは頭にはなく、ただ単に『クリスマスだから』という単純な思考で祝う。
 祝う? 何を? ふと、秋元の脳裏を駆け巡った。アリスがグラスを持ち上げると、すぐさま答えが出る。そうだ、アリスと出逢えた事、今ここで生きている事を祝う。そして、生きて二人で日本へ帰る事を誓い──
「乾杯」
「……乾杯」
 ガラスとガラスが奏でる綺麗な音色が、小さく響いた。一口、冷えたスパークリング・ジュースを飲と、それは渇いた喉を潤して、哨戒で疲れた身体に染み渡る。外は寒いがここは暖かい、だからこそこの冷え具合がたまらなく美味い。
「そう言えば、アリスが覚醒してから初めての冬だな」
「……はい」
「体調はどう? 秋頃よりずっと寒いだろ」
「……問題ありません、風邪の兆候もありませんし。……それに、寒いですけれど……暖かいのがより暖かく感じられて、自分が実体化しているのを強く感じます」
 アリスは精神生命体、つまり霊体・精神体の状態と、実体──精神生命実体、人として実体を持っている状態の二つを行き来する。自分が実体を持っているのだと、肌が温度を感じる事で、より一層実感できる。機体と同化して、その複合材料を主材とした外皮で温度を感じ、センサーから正確な温度を得るのとは、やはり違うのだと。
 この肌が、身体が感じる温度、暖かいのも、暑いのも、涼しいのも、寒いのも、自分が人間として実体を得ている証。生きている、証なのだ。
「……日本の春は、暖かいのですか?」
「暖かいよ、桜がとても奇麗に咲く」
「……日本の夏は、暑いのですか?」
「暑いな、クソ暑い。北海道はそうでもないけど、冬が地獄だな。俺は関東生まれの関東育ちだから、大変だった。俺の地元は、雪なんて滅多に積もらなかったからな」
「……では、天塩基地へ帰還したら、冬が大変ですね」
「まぁね、暇な奴は雪かきをやる時もある。たまにサボって雪合戦始める奴が居るんだが、誰だか判る?」
「…………伊瀬さんですか?」
「その通り。俺も応戦しちゃうけどな」
 秋元は笑いながら、手首の捻りを利かせて空気の雪球を投げる。
「ああ、だけど今は もみじっていう監視員が居るからな、サボれないだろうなアイツ」
「……確かにそうですね」
 いかにサボりの常習犯・伊瀬と言えども、もみじの監視の目からは逃れられないだろう、相手は空中管制機機能も持ち合わせた、AEWだ。
「雪かきは、レオナにとっては地獄だろうな」
「……寒いのが嫌いだと、言っていましたから」
「きっと寒い寒い言いながら外に出るぞ。煤原大尉は見ての通り頑丈だから、レオナとセットで二.五人分だな」
 レオナが〇.五で、大尉がニだと、秋元は笑う。
「ガーベラは大丈夫そうだな、顔色一つ変えなそうだ。橋野なんか、文字通り顔色一つ変えないで、黙々とやるぞ」
 伊瀬とは対照的だと、やはり秋元は笑う。伊瀬がサボりだしても、さっぱり気にせず黙々とやるから、ある意味マイペースな奴なんだと、マイペースな自分を棚に上げて言う。
「市川はなぁ、伊瀬がサボった分もやっちゃうんだよ。で、流石の伊瀬も悪いと思うのか、市川に昼飯の一つでも奢るんだ。だが今度はリエナが居るからな、もみじとの相乗効果でますますサボれないだろう、伊瀬の奴」
「……リエナと もみじに呼び戻されて、渋々と雪かきを再開する……そんな伊瀬さんの姿が、思い浮かびました」
「だろ?」
 伊瀬が投げた雪球に応戦したら、俺もお仲間扱いされるなと、スパークリング・ジュースを一口飲んで、秋元は言った。
 そう、そんな呑気な日常が、この先に待っている。この戦争が終われば、戦時という最大の緊張から解き放たれる。いや、もしかしたら、残党狩りが再び……いや、それは考えない事にする。
 生きて、日本に帰るんだ。アリスと、仲間達と、みんなで帰るんだ。その為に敵と戦って、時に殺して……いや、それが戦争なのだ。相手もそれは同じ、こういう状況でまだ白旗を揚げないのだから、降伏の呼びかけを突っぱねるのだから、戦わざるを得ない。やらなければ、られる。
 一個人でしかない、一軍人でしかない秋元にできる事は、己の役割を全うする事。航空機部隊の隊長として、その役割を全うする。
 そして、大切なモノを守り通す。今、目の前に居る無口・無表情な少女を、守り通す。MLシステムという軍の都合で生まれた、このアリスを。


 二〇五四年〇一月〇一日。除夜の鐘も響かぬ異国の地で、新年度を迎えた。新年の挨拶もそこそこに、酒盛りもせずに任務に備える。今は戦時、それも敵本土の最前線。ここでは浮かれた行事は出来ない。仮眠を取ってから、哨戒任務に出撃した。
 現地時間二〇五四年〇一月〇一日〇五時三五分。現空域、連合とU.S.A.J.の領域・境界線付近。両者の認識する縄張りが、互いに重なり合ったグレーゾーン。我々にしてみればこちらの領域だが、奴等にしてみれば奴等の領域。向こう側でも、同じ事が起きている。重なり合ったグレーゾーンの真ん中に、境界線が出来ている。自然に発生した、誰が調印を交わした訳でもない境界線。越えたところで国際問題も何もない、戦争状態であるが故の、作戦上の境界線。敵戦力を警戒した境界線。今はただ、作戦領域外であるだけで、ひとたび命令が下ればそこを越えて進撃を開始する。
 ゼロ・アリス以下五機、ホーリー・ハウンド小隊は、哨戒任務中である。敵が来れば勿論応戦するが、今は味方しかいない。
 まだ、暗い空。天候は晴れ。予報によると、日の出は六時五八分頃。どうやら、今年の初日の出は異国の空で拝む事になりそうだ。出来れば邪魔が入って欲しくない、敵もその辺、空気を読んでくれればいいのだが。
「ハウンドリーダーより各機、異常はないか?」
 異常がない事はMLS機であるゼロ・アリスと、そのパイロットである秋元、そしてパートナーのアリスが一番良く知っているが、ホーリー・ハウンドはチームだ。相互報告が連携を高めるし、必要。
『ハウンド・ツー、異常ありません』
『ハウンド・スリーも異常なし』
『ハウンド・フォー、異常なーし』
『ハウンド・ファイブ、異常なし』
「ハウンドリーダーより各機、こちらも異常なしだ。初日の出はゆっくり拝もう」
 意識を、一点集中ではなく周辺に拡散させるように、限りなく無意識に近付くように目をつぶる。MLSによる索敵が、より遠くをより広い範囲で行われるが、感度も精度も落ちる。とりあえず、その範囲内では敵はいない。もみじならば、この範囲よりももっと遠くを、より正確に、より多く探知して追尾できるが、アリスは制空戦闘に特化している。客観的に見るよりも、主観的に見るほうが得意なのだ。
 目を開けると、薄っすらと明るくなり始めた空が見える。新たな夜明けが近い、できれば平時で迎えたかった。平穏な空で拝みたかった。だが、仕方がない、戦争になったのだからどうしようもない。それが解っていて、軍人になったのだから、ここが戦いの空である事に異存はない。あくまで自分の役割に関しては、だが。戦争が起きてしまった事は遺憾だ、もっとどうにかならなかったのかと思う。そもそも、ジェインのクソ野郎が事を起こさなければ済んだ事だ。恐らくは。
 それから一時間半程飛行する。設定された範囲を行ったり来たり、敵は見当たらなかった。どうやら敵も、新年くらいはゆっくりしたいらしいなと、赤井が冗談で言う。秋元はそれに同意した、そのほうがいい。面倒だからこのまま降伏してくれと返すと、そりゃいいやと赤井は答えた。
 高度二一〇〇メートル、地平線までの視野は地上より広いが、ここいらは薄っすらと雲海が広がっていた。六時五八分より少し前、朝が来る。
『ブルーよりマルス。隊長、日の出です。九時の方向』
 進行方向に対して九時の方向を、左側を見ると、雲海から太陽が顔を出し始めていた。ゆっくりと、光の筋を放ちながらその暖かい姿を見せてゆく。初日の出だ、ヘルメットバイザーを上げてこの目で見る。オレンジ色の光が雲海を照らし、その無数の水分の粒は一つ一つが輝いている。綺麗だ、日の出自体は今まで何度も空で見たが、初日の出は別格に思える。とても美しい、暗い空と薄暗い空、そして太陽に照らされた明るい空と薄い雲海がコントラストを作り出し、夜と朝が混在した光景を見せる。地球そのものだ、と、秋元は思った。
《……綺麗ですね、マスター》
「ああ、綺麗だ」
《……早く……戦争が終わると、いいですね》
「そうだな、早く終わって欲しいものだな。こっちにとって最善の形で、ね」
 負ける事はあってはならないし、連合とてアメリカを滅ぼすのが目的ではない。U.S.A.J.を打ち倒し、アメリカを正常な状態に戻し、そして現状・最大の脅威を取り除く事が目的。勝利という形で平和を勝ち取って、当然ながら生き残る。これが最善だ。
 そうだ、アリスと共に。ゼロ・アリスと共に。どちらも失いたくない。そして、仲間達と共に生き残り、勝利の終戦を祝いたい。
 どんどんと昇っていく太陽は、旭日旗を連想させた。これは、我々が勝利するという事だと縁起を担ぎ、絶対に、アリスとゼロ・アリスと共に生き残ると、秋元は固く誓う。
 戦闘機であるゼロ・アリスよりも、精神生命体であるアリスのほうが先に来ていたのは、無意識だった。





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公開日:2015/08/19
赤い瞳、白き翼 -ALICE- 〜第3外洋機動艦隊〜
第36話「クリスマス・イヴ」

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